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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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石川信吾

 「ナチスは、ほんの一握りの同志の結束で、発足したのだ。我々だって志を同じくし、団結さえすれば、天下何事かならざらんや。」

 石川信吾日本海軍少将

 根回しに特別の才能を持っていた人間の代表格が、海軍の石川信吾少将である。ヒトラー好きのドイツ賛美者で、明治27年(1894年)山口県生まれ。海軍兵学校・海軍大学校の成績は平凡なものであったが、能弁でその話ぶりは、上手く利用出来る才能があった。

 満州事変の年、昭和6年に当時軍令部第2班課員であった石川信吾少将は、「大谷隼人」と言うペンネームで書いた著作「日本之危機」の中で、早くも米国の中国侵略の野心は極めて危険であると、書いていた。石川信吾少将という男はこう言い表せる。一斉射撃で、飛び出した砲弾の中には、時にあらぬ方向へと飛んで行く弾がある。それを不規弾と言う。

 石川信吾少将はまさしく昭和日本海軍が生んだ不規弾であり、海軍部内を越え、政界や外交など、各界の対米強硬派の中に、広く知己を持つ、有能だが危険な人物であった。「軍人ハ政治ニ関与スベカラズ」の鉄則など、何処吹く風の政治軍人であり続けたのである。それにこぢんまりとした海軍そのものが、大所帯の陸軍に対抗して、予算獲得を円滑にする為に、石川信吾少将を上手く利用した面もある。

 石川信吾少将も、海軍の主流派の意向を巧みに利用して力をつけて行ったとも言える。お互いの利害が一致した"ステークホルダー"になっていたのである。石川信吾少将のやった事が悪いと思われるかもしれないが、そうではない。石川信吾少将は、自分なりのスタイルで帝国海軍と自分の為に尽くしたまでの事であり、それが他の人間よりも個性的であったと言うだけに過ぎない。

 だが、石川信吾少将のやり方は、軍人として見本になるものではない。ましてや、軍人が政治に関与する事は、シビリアン・コントロールを基本とした近代軍隊の方針にはそぐわない。とは言え、ネゴシエーターとしての石川信吾少将の様な軍人がいた事も忘れてはならない。

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