山内正文
「米国となんか戦える訳がない。」
山内正文(元米国駐在武官)
昭和13年頃、米国の駐在武官をしていた山内正文は、米国カンザスにある陸軍大学に留学し、11位の成績で卒業する程の秀才であった。その駐在武官時代に何度もこの様なセリフで、陸軍省に忠告をしていた。
やがて、東条英機に煙たがられ外地ばかりを転任する事になる。山内は、国際的な視野を持つバランス感覚のとれた人間で昭和の帝国陸軍において、見識を持ち合わせた人材ではあったが、生かされる事なく中枢から遠ざけられてしまっていた。
山内の様に、米国と言う巨大国家の持ちうる戦力を肌で感じ知っていれば、「米国と戦争をする?冗談はよしなはれ。」と言う様な気持ちになったであろうし、何よりも、日米戦となれば壊滅的な状況に、日本が追い込まれる事を知っていた。
山内の様な優秀な人材を、活かしきれていなかったあたりが、帝国陸海軍の限界点であったのかもしれない。もし仮にifが許されるならば、現状を理解できる指導者がいて、陸海軍と天皇が戦争にNOを突き付けていれば、もう少し変わったのかもしれない。勿論、優秀な人材がいても、権力の座にいる人物が使えなければ、大東亞・太平洋戦争の様な悲劇になってしまう事は充分に分かった。
山内の冷静かつ正確な分析に対して、東条英機は、「大切なのは戦えるか、戦えないかではない。戦えないと分かっている相手を、どう屈服させるのかというのが、本物の戦争である。」と、山内に言いたかったのであろう。
山内の戦争遂行不可能の助言は"くさいもの"と言われ、遠ざけられた。山内と同じ様に優秀だったが、遠ざけられた存在としては、磯田三郎や、ロンドン駐在武官であった辰巳栄一や、日中戦争不拡大派の多田駿(参謀次長)などもそうした人材ではあった。
組織においては、冷静かつ正確な分析は、指導者からしてみれば、ものすごく有利に働く時と、ものすごくめざわりになる時がある。