東条英機⑦
「そんなに凄い人なら、俺は子分になる。」
東条英機陸軍大将
ヨーロッパ視察後に書いた総力戦に関する論文を読んだ宇垣一成が、「これはドイツ参謀本部のルーデンドルフ(第一次世界大戦の東部戦線で武勲を上げた知将)以上だ。」と言って、驚嘆した事を受けて東条英機が発したセリフである。
この論文は、永田鉄山と言う軍人が書いたもので、次項で永田鉄山については詳しく説明する。実際、永田鉄山は、帝国陸軍80年の歴史の中でも、トップクラスの頭脳を持っていた事は確かである。彼の影響力が陸軍に浸透する前に、この世から去ってしまった事は、日本人にとって不幸なものであった。
東条英機は冗談めいて話をしているが、永田鉄山と言う男が、歴史の表舞台に居続けたとしたら、東条英機がこれほどまでの権力者にはなっていなかっただろう。歴史のIFはタブーだが、それを永田鉄山と言う男は感じさせざるを得ない。昭和の帝国陸軍に永田鉄山ありせば、陸軍の暴走はなかった可能性がある。いずれにせよ、テロと言う形で現役の陸軍将校が命を落とした事は、痛恨の極みである。
才ある者は疎まれる。永田鉄山の場合も同じであった。昭和の帝国陸軍は、人材難を嘆いていたものの、永田鉄山、石原莞爾と言った秀才はポツポツと出現していた。だが、彼等の様な秀才を持ってしても、歴史は残酷に流れ、それを止めるには、至らなかった。
定評のある天才と言うものは、机上では無双ぶりを発揮するが、必ずしも歴史上で辣腕を振るうとは限らないのが、人間社会の冥理と言っても良い。天才が活躍する為には、天才と言われている人間自らが、努力する必要もある事は間違いない事であり、能力や生まれつきの本能や実力に、胡座をかいてはいけないと言う事でもある。勿論、人の上に立つ気があるのなら、努力はするだろうが。




