木戸幸一
「今回の事は、精神の如何を問わず、甚だに不本意なり。」
木戸幸一
このセリフは、木戸の著書「木戸幸一日記」に書かれた、2・26事件時の昭和天皇が発言したものである。だからこのセリフは、昭和天皇が発したものなのだが、あえて木戸幸一が発したセリフとして、紹介させていただこう。
気丈にも、「断固討代」を言い続けた訳だが、肉体的恐怖は、想像を絶していたと思われる昭和天皇の心中。何故なら岡田啓介首相以下6人の要人達が狙われその内、内大臣の斎藤実は47ヶ所も拳銃や機関銃で射殺されている。高橋是清大蔵大臣は、撃たれた上に左腕を斬られた。教育総監の渡辺錠太郎は夫人の前で射殺されている。
と、言う具合に、「天皇親政」の大善を理由にして、3人が命を落としている。それも機関銃で撃たれた後、滅多切りにされ、肉片が飛び散っていたと言う。それはそれは、酷い光景だった。そして以後、「2・26事件」によって、刻み続けられた"テロの恐怖"はあらゆる場面、至るところで、影響力を及ぼして行く事になる。事実右翼団体員による海軍大臣米内光政襲撃計画等といったテロ未遂、また後に「日独伊三国同盟」に反対していた海軍次官の山本五十六は、いつ殺されるか分からないからと、金庫の中に密かに遺書をしまっていたと言う。
また、後の首相となった近衛文麿等は、テロの標的になるのを避ける為、昭和7年の「血盟団事件」の首領である右翼の大物、井上昭を用心棒として、わざわざ荻窪の自宅"荻外荘"に住まわせる程であった。そして、"テロの恐怖"が広がったのを良い事に、軍はそれを巧みに利用して行く。
「軍の言う事を聞かなければ、また強権を発動するぞ…。」と、暗に広めたのである。すると、政治家達は皆、近衛文麿の様に腰が引けてしまい軍の統制が効かなくなっていた。軍の強権な発言の裏には、「暴力」があると恐れを為してしまったのである。
昭和7年の血盟団事件に端を発する"恐怖の連鎖"の極点としての「2・26事件」は、日本を戦争に向かわせたかった軍の統制が出来なく成った一つのターニングポイントとなった事をこのセリフは教えてくれる。