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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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朝枝繁春

 「うん、なってない。」 朝枝繁春

 「陸軍大学校の教育と言うものは、なっていなかったのではなかったか?」と聞かれて朝枝繁春が答えたセリフがこのセリフである。上から言われた事だけをするように教育されて、本来持っていた柔軟な自分の頭が、どんどん固くなって前の時代のやり方を踏襲する様な思考方法しか教わらなかったと言う。

 具体的には、戦略・戦術・戦務・戦史・統帥権・統帥論。これ等についての授業が、72.8%を占めていた。国際情勢・経理・法学・国際法と言った所謂軍政についての授業が13.2%で、語学・日本史等の所謂一般教育に至っては、わずか14%程であったと言う。

 つまり陸軍大学校(海軍大学校)は戦闘に役立つ参謀を育てる事に特化した教育機関であり、分かりやすく言えば、「軍事オタク育成機関」であり、「軍オタ」が優等生になったものだと言える。またその内容は、対ソ連戦略一辺倒であり、対米英戦略はほとんど教わらなかった。その上に、開戦や停戦及び終戦の手続き等も学んでいなかったと言われている。

 陸軍大学校は明治15年(1882年)、海軍大学校は遅れる事6年、明治21年(1888年)に生まれた。修業期間は元は3年だったが、昭和に入ると戦争が激しくなり段々縮小され、第二次世界大戦末期には陸軍大学校の修業期間は、半年にまで縮小されていた。尚、陸軍大学校に入るには陸軍士官学校を卒業し、隊付き勤務を終えた後、連隊長など直属の上官の推薦によって、受験資格を得る。条件はそれ以外に30歳未満の階級中尉以上と言うものがあった。

 海軍大学校の場合は、受験者は海軍兵学校卒業者で、陸軍同様数年の実務経験を持っている大尉や少佐などから選抜される。試験はいずれも、初審と再審の2回。初審は筆記試験で戦術を始め、一般教養科目や典範等の知識を問う。7月に合否が分かり、定員の2倍に絞った上で、12月に再審が行われる。再審は口答試問が主で、実に一週間程に渡る厳しい長期戦の為、初審をクリアできても、猛対策を受験者は強いられる。最終的な合格者は受験生の内の約1割と言われているが、皇族の方々は無試験で海軍大学校に入校している。いずれにしても、かなりレベルの高い試験であった事は事実であった。

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