元帝国海軍パイロット
「あまりにも鈍重で、こんなものを相手にして自分達は負けたのか…。」 元帝国海軍パイロット
戦後、海上自衛隊が米国から供与された機体を何種か、飛ばした事があるのだが、米国海軍の雷撃機アベンジャーに乗った元帝国海軍パイロットが語ったセリフがこの感想である。
米国は自動車を見れば一番よく分かるが、大きな物を作るのが、得意である。今でも、何百馬力と言う大きなエンジンを積んで、ハイウェイを何百、何千マイルも走れるような大型車を作る方が、得意である。逆に小さな軽自動車は作るのが、苦手である。
小型、精密志向の日本とは正反対である。米国人の大雑把な性質は国家総力戦の時には、大きな長所になる。格好など絶対に気にしない。零戦は見た目が流麗で、スマートなのに対して、グラマンワイルドキャットF4Fや、F6Fヘルキャットは、何とも寸胴で不細工である。米国人自身も「太鼓腹」、「ビア樽」と評していたくらいだ。その分頑丈で、整備がしやすい機体であったし、修理も楽だった様である。無論、大量生産にも向いていた。それから、操縦も日本の戦闘機に比べると楽だったと言われている。
これは、重要な要素である。と言うのも、とにかく馬力があって真っ直ぐ飛ぶ。よく言えば、安定性がある。悪く言えば鈍重なのである。だからこそ米国はパイロットの"大量生産"に成功している。戦争が始まると、民間の飛行学校を全て閉鎖して、軍に応召してくる人間だけ教育を再開する。すると、米国の飛行機乗りは皆軍に入隊してくる。その後1年はしごれた後、直ぐに実戦配備される。
そこには、年間一万から二万機単位で製造された戦闘機が準備されている。つまり、桁違いなのだ。それだけ早くパイロットを養成出来るのは、操縦しやすい機体だからである。日米の飛行マニュアルも対照的で、日本の飛行マニュアルは、取っつきにくいのに対して、米国の飛行マニュアルはイラスト入りで分かりやすい。
日本では予科練(飛行予科練習制度)の教程をいくら短縮しても、パイロット養成には2年はかかる。しかも、乗りこなすのは芸当が必要な機体ばかりで、促成栽培のパイロットでは結局戦力にならなかった。この差が日米の勝敗を分けたとも言えるだろう。




