黒田大尉(重巡筑摩飛行隊長)
「太平洋戦争は、僕のせいで負けたんですよ。」
黒田大尉(重巡筑摩飛行隊長)
ミッドウェー海戦のふたを開けてみれば、日本は虎の子の第一航空戦隊の練達の飛行機乗り100人と空母4隻を失う大惨敗であった。
転機となったポイントを一点上げるとすれば、策敵の成否が勝敗を分けた。まず日本海軍は、重巡「筑摩」から、黒田大尉(飛行隊長)の策敵機が飛ぶのであるが、実は黒田機の飛んでいた雲の下に米国海軍機動部隊がいた。雲の下を飛ぶと言うのが策敵の原則なのだが、それはさておき、敵の艦隊を黒田機は見逃した。
黒田機の隣の地点を飛んでいた重巡「利根」の4号機が帰り道に米国艦隊を見つけるのだが、「筑摩」の策敵機が雲の下に行っていれば、ミッドウェー海戦で日本海軍が大敗する事はなかった。戦後、黒田大尉は航空自衛隊に入隊するのだが、このセリフの様に自認していたが、当時は策敵の成否は問題にされなかった。
逆に米国は、「エンタープライズ」の急降下爆撃機の隊長マクラウスキー少佐が33機を引き連れて、南雲艦隊の攻撃に向かった。しかし、南雲艦隊が進路を変えていた為、見当たらず引き返そうとしていた時にたまたま、日本海軍の駆逐艦を発見した。これは機動部隊の主力に合流する為に、走っているのだと判断したマクラウスキー少佐は、その進行方向に飛行し、南雲艦隊の奇襲に成功した。
やや、極端に言えば黒田大尉とマクラウスキー少佐の判断の差で勝敗が決してしまった。いくら日本海軍機動部隊が世界最強とは言え、敵の艦隊を発見出来ねば、その力を発揮する事は出来ない。戦いと言うのは、一つのミスの連続で負けに至る。重大事故も同じだ。ミスがチーズの穴のように常にあちこちで起きる。それがいくつも集中した時に、決定的な事故が起きてしまう。危機管理論であるスイスチーズモデルの様なものである。




