レイモンド・スプルーアンス
「私は"ラッキー"だった。」
レイモンド・スプルーアンス米国海軍軍人
ミッドウェー海戦は太平洋戦争の中でも、日米の勝敗の分水嶺となった戦いである。そのミッドウェー海戦で米軍を指揮したレイモンド・スプルーアンス(1886年~1967年)がミッドウェー海戦を振り返った時のセリフである。
ミッドウェー海戦とは昭和17年中部太平洋ミッドウェー島付近で起こった日米による海戦の事である。結果は日本海軍の惨敗。日本海軍は虎の子の第一航空戦隊と空母4隻を一度に失った。この戦いは太平洋戦争における日本海軍の転換点であり、以降米軍の猛反撃を食らう事になる。
レイモンド・スプルーアンスは米国軍人にしては珍しく謙虚な人間であり、謙遜家なのかと思われるが、それは別として調べれば調べる程、ミッドウェー海戦は米国が勝てたのはラッキーだったと言う事が分かる。と言うよりも、日本軍のミスが多すぎた。と言うのも当時の状況は日本側が圧倒的に有利で、この時ニミッツは、暗号解読により日本艦隊の行動を把握していた。
それにより重要な防衛拠点であるミッドウェー島を死守する為に、使用出来る兵力を全てミッドウェー島周辺にかき集めた。しかし、それでもまだ日本艦隊の方が優勢だった。「ニミッツの太平洋海戦史」でも、暗号の解読には成功したものの、「日本艦隊の脅威に対処するには、あまりにも劣勢であり、米国海軍の点からすれば、米国の指揮官にとってそれは、不可避な惨敗を事前に知った様なものであった。」と書かれている。それほど当時の日本海軍第一航空戦隊の誇る空母打撃郡は強敵だったと言わざるを得ない。
では、日本海軍は何故ミッドウェー海戦で大敗したのか?レイモンド・スプルーアンスは前述のハルゼーとは対照的な人物だ。緻密慎重型の軍人と言える。この二人の指揮官により日本海軍は負けたと言える。そしてこの二人の指揮官を起用したニミッツや、キングが上にいた。米国海軍が強かったのは、兵器の性能も去ることながら、人事の妙が多大なる影響力を持っていた。レイモンド・スプルーアンスはミッドウェー海戦での勝利をラッキーだったと言うが、軍人には時にその幸運が必要な時がある。




