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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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ウィリアム・ハルゼー④

 「日本と戦争になるのが分かっていたら、あの時東郷を下に叩きつけてやれば良かった。」

 ウィリアム・ハルゼー米国海軍中将

 1882年生まれのハルゼーは「耳順」どころか、米国海軍きってのケンカ好きと言われていた。ハルゼーは、ニミッツより3歳年上ではあるが、学業成績が良くなかった。アナポリス海軍兵学校にほ、コネクションで入り、ニミッツの一期先輩だが、ニミッツの方がよほど優秀だった。

 真珠湾攻撃以降半年余り連戦に次ぐ連戦で、疲労が貯まったのか、悪性の蕁麻疹(じんましん)を発症して入院。一時戦列を離れると、米軍は第一次、二次ソロモン海海戦のガダルカナル島奪取にかなりの苦労を強いられる。戦況もかなり深刻になっていた。

 弱気なロバート・ゴームリー南太平洋方面軍司令官では、この「米国海軍健軍以来最悪の記念日」を乗りきる事は出来ないと判断したニミッツは、業を煮やして、猛将ハルゼーを戦列に戻す事を決める。

 「危急存亡の場合にはもっともアグレッシブ(攻撃的な)指揮官を。」と言うのが、ニミッツの信条であり、ハルゼーの南太平洋方面軍司令官復帰人事には、ニミッツの独断で急遽決められたものであった。ハルゼーの粗っぽさと素直さが将兵の闘争本能に火をつけたのだ。そして遂に南太平洋での劣勢を挽回したハルゼーら米国海軍は、大暴れする事になった。

 米国海軍は、日本海軍とは違い成績や年齢で人事を決めない。平時ならば「耳順」でも良いかもしれないが、有事にそれをやるのはよろしくない。ニミッツの積極人事も耳順では有り得ないものである。

 グレート・ホワイト・フリートの一員として日本に来た時に出会った日本海軍の英雄東郷平八郎元帥にあった時に感じたのが、このセリフである。戦争では、この様な品のないガッツある指揮官が活躍する事もある。

 ハルゼーの粗っぽさや品の無さは生まれながらのものであるから、真似をしろと言われても無理なのかもしれないが、こうした指揮官がいると、部下は誠に心強い。米国海軍史上最もガッツのあった「猛牛」は、ニミッツとの抜群のコンビネーションで、南太平洋を舞台に大暴れをする事になった訳である。

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