山本五十六④
「ニミッツは、ハワイに居るのに、何故俺はトラック島にいなければならないのか?」
山本五十六(日本海軍元帥)
本来ならば海軍の戦略の上に、日本全体の戦争戦略があって、そこには垂直的なコミュニケーションが不可欠であるはずである。
しかし、山本五十六は、連合艦隊旗艦である「大和」にずっといて政府の中枢とは、没交渉で軍令部の言う事も聞かなかった。これでは総力戦はとても戦えない。連合艦隊の司令部は、「長門」や「武蔵」に「大和」と言った旗艦に置かれていて、開戦時は呉沖の桂島海面にただ浮かんでいるだけだった。後に少し前線のトラック島に出ていく。
だが、いかにも軍事行動としては、曖昧である。本当の意味での陣頭指揮をとるつもりならば、真珠湾やミッドウェーに山本五十六は、行くべきだった。そうすれば真珠湾では、敵の石油タンクを破壊したり、ミッドウェー海戦では大きな指示ミスは避けられ大敗する事はなかった。
逆に戦略作りに専念するなら、大本営と意思疏通しやすい所にいるべきで、米国海軍トップのニミッツは、これほど広い太平洋をカバーするのに船に乗っていたのでは間に合わない。と言って、ハワイの太平洋艦隊を陸上から指揮し全体の統轄にあたった。
ただ、山本五十六が、トラック島に釘付けになったのは、仕方無い面もあった。当時、米国産の石油は輸入が出来ず、南方のシンガポールから輸送していたのだが、桂島に居たのでは日本のシーレーンの防衛が出来ない。そこで、連合艦隊の旗艦である「大和」をワザワザ、トラック島まで進出させたのである。山本五十六自身もこのセリフの様に愚痴っていた位であったから、彼自身も歯痒さが残るのと同時に、トラック島進出は大本営の指示であった事が分かる。
国家総力戦の経験がない日本にとっては、戦争の形態が変わり、「連合艦隊司令長官は常に先頭の旗艦に乗るべし。」と言う慣例が無意味な事くらい分かっていたのだから、さっさと違う所に行けば良かったのだ。とは言え、帝国海軍の伝統を無視する訳にもいかない。山本五十六としては、「大和」に乗っていれば、軍令部や陸軍からの雑音も聞かなかくて済む。と言う部分があったのかもしれない。
自分の意見を通すには賢いやり方ではあったが、日本海軍全体として見ると、この"引きこもり"はやはり問題がないとは言い切れない側面もあったのかもしれない。




