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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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フランクリン・ルーズベルト

 「あいつら」と「マイネイビー」

 フランクリン・ルーズベルト(米国第32代大統領)

 1882年~1945年まで活躍したフランクリン・ルーズベルトは、米国第32代大統領で1933年~1945年の間を在任した。30代末に小児麻痺で下半身不随になるが、4期に渡り大統領を務め在任中に死去した。海軍次官を7年間務め、国務長官以上の辣腕をふるって、海軍を政治的に我が物にした。

 フランクリン・ルーズベルトが海軍次官になったのが、1913年。史上初の総力戦で、欧州に代わって米国が、世界一のリーダーになるきっかけとなった第一次世界大戦で、フランクリン・ルーズベルトは、最初から最後まで、海軍の指導者的立場で経験している。この経験は、大統領時代に起こった第二次世界大戦を指揮する上で極めて貴重な経験となった。

 興味深いのは、フランクリン・ルーズベルトの父は、中国から茶を輸入する事で財を成し、南北戦争の時には陸軍に麻酔用アヘンを納めて巨大な利益を得る。その為、アジアには深い利害と関心を持っていた。

 フランクリン・ルーズベルトが1933年に大統領になると、やはり一族のヘンリー・ルーズベルトを海軍次官に任命しており、ルーズベルト家だけで、14年間もの間海軍と行政を牛耳っていた事になる。フランクリン・ルーズベルトは、大恐慌下の米国でニューディール政策を実施。社会福祉政策の先革便をつけたと言うイメージがあるが、それはコインの1面で、失業対策の名の元に予備役を召集し、軍艦や飛行場をどんどん作る等して社会的軍事インフラの拡充にも余念がなかった。

 当時、米国に赴任していた日本陸軍の情報将校杉田一次の言を借りれば、「ニューディールの影に軍拡あり。」と言う訳である。ニューディール政策について補足すると、世界恐慌克服の為、実施された大規模な経済対策の事で、テネシー川流域の開発計画等が有名だが、米国の経済状況が回復したのは、ニューディール政策の結果か或いは、第二次世界大戦による軍需増加の結果かについては議論されている。

 フランクリン・ルーズベルトは強力なリーダーシップの元、海軍を「マイネイビー」、陸軍を「あいつら」と呼び、日本陸海軍と太平洋戦争を戦った事を我々日本人はきちんと理解しておく必要があるだろう。

 

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