5・15事件主犯
「自分達は、犠牲となるのも覚悟の上で、農民を貧しさから解放し、日本を天皇親政の国家にしたいが為に、立ち上がった。」
5・15事件主犯 海軍士官、陸軍士官候補生、農民有志
1932年(昭和7年)5月15日、海軍士官と陸軍士官候補生や農民有志らにより、当時の首相である犬養毅が惨殺された。所謂5・15事件である。現役の首相を殺害したテロ事件であるにも関わらず、一般世論は、加害者に同情的な声を多く寄せていた。
年若い彼等が、法廷で語った時のセリフが上記のものである。涙ながらの彼等の訴えは、多くの国民の減刑嘆願運動さえ誘った。しかし、よく考えればこれは、只のクーデターであり、テロリズムでしかない。テロリズムとは、政治目的の達成の為に暴力を用いるものを指すものであって、5・15事件はまさしく「テロ」だった。
仮にも、一国の首相である人間を殺害する理由としては、少し短絡的過ぎる。天皇親政の国家というが、そもそも内閣総理大臣は、天皇の信任によって、その地位につけるものであり、股肱の臣(最も頼りとする臣)であった。だから、彼等の言っている事は筋が通っておらず、デタラメなのである。天皇が最も頼りとする人間を殺害する時点で、天皇に対して反旗を翻したも同じ事である。
自分達が、犠牲になると言う覚悟までは否定しない。農民を貧しさから解放したいと言うのも嘘ではないだろう。しかしながら、何故そこで安易に政治家を殺害すると言う発想になるのか?そこが短絡的であり未熟であった。
大義を掲げるのは勝手である。しかしながら、テロはいつの時代もどんな状況でも、否定されるべき存在であろう。
イラク戦争やアフガニスタンでの戦争も、元を辿ればイスラム過激派によると見られる、9・11米国同時多発テロに起因する。
「血盟団事件」や「2・26事件」と言うテロ事件が、日本の開戦への流れを作っていったと言っても過言ではない。テロリズムは、歴史を悪い方向のベクトルへと向けてしまう作用があるのかもしれない。大義名分はテロの理由になっても、それを実行しても良いと言う様な理由にはならないのだ。