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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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東条英機⑤

 「戦争は負けたと思った時は負け。その時に彼我の差が出る。」東条英機日本陸軍大将

 切羽詰まって無意識にこうしたセリフを口にするのだろうが、こうした発言は東条英機の戦争観が窺え、大変に興味深い。"戦争"と言うのは、結局東条英機に言わせれば、「負けた‼」と降伏した時に初めて敗けになるのだ。スポーツの得点差による勝敗の決し型と言う理にかなった考え方ではない。東条英機の考え方は、幼稚な意地の張り合いでしかない。

 例えばAさんとBさんが喧嘩をしているとしよう。AさんはBさんを散々殴り、「お前が参ったと言えばもうやめてやる。」と言っている。でももし、Bさんが死ぬまで殴られても、「参った。」と言わなければBさんは負けていない事になる…。これは、呆れた精神論であると言わざるを得ないだろう。

 驚く事に、この様な呆れた精神論を繰り返していたのは、東条英機だけではない。帝国陸海軍将校の多くが、物理的ギャップを横暴で乱暴な精神論によって、埋めようとしていた。これはつまり、帝国陸海軍の実権を握る者達が、近代戦争がなんたるか?国家総力戦がなんたるかと言う重要な論点を理解していなかったと言う事の証である。少なくとも進化した殺戮兵器に対して、自爆を仕掛けると言うような無謀な作戦を実行するような、冷静さを欠いた行動はとらないであろう。

 現代の日本でも、「頑張ろう!」とか「やれば出来る」等と言う言葉が社会に溢れている。しかし、その様な綺麗事には主語が抜けている。誰が何を頑張るのか?誰が何をどうすれば、やれば出来るのか?と言う事が明確にならなければ、無責任な精神論の域を出る事は無いだろう。結局、精神論に逃げると言う事は、問題の本質にきちんと向きあっていないのだ。本題に対して戦略も何もあったものではないから、格好のつく綺麗事(精神論)に逃げる。それは今も昔も日本人の悪い癖である。

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