大本営参謀
「あれは、単なる"作文"に過ぎなかった。」
大本営参謀
昭和18年9月30日の御前会議で、「絶対国防圏」と言う新作戦方針を日本軍は定めている。この方針では、「日本が"絶対"死守すべき地域として千島列島、小笠原諸島、内南洋、西部ニューギニア、スンダ、ビルマを含む圏域」と定められた。そして、「この領域が破綻するともう日本軍の勝利は無い。」とも補足されていた。
「絶対国防圏」等と言うと、聞こえは良いが実際は、大本営作戦部の参謀達が、地図上を眺め何の根拠もなく延びきった日本の制圧地域に、線を引いただけなのである。戦後に当時の大本営参謀達の述懐のセリフである。実行力の伴わない願望に過ぎなかった。しかしながら、その何の根拠も無い空虚なものが、以後「このラインを絶対に死守すべし。」と言う大本営の御題目になっていく。
硬直化した発想以外の何物でもない。日本海軍の要所で艦隊の整備の場所だったトラック諸島は「絶対国防圏」に入っていた。同じく「絶対国防圏」に入っていたブーゲンビル島は、米軍に占領されており、もう既に「絶対国防圏」の喉元に刃を突き付けられた様な状態であった。
一方、米国も政治工作を進める一方で、新たな軍事作戦の方針を打ち出していた。「飛び石作戦」の次なる段階として、グアム・サイパン両島や、マリアナ諸島の攻略を打ち出していた。米国側の最終目的は、日本本土の制圧であった。そこに至る足掛かり、つまり日本本土を空襲する為に往復飛行可能な地点を確保するのが、当面の目標とされた。その地点として有力な地域が、マリアナ諸島であった。「日本は制海権を守る為に、必死の攻防をするだろう。特に沖縄を制圧する辺りが日本軍の抵抗が最も激しくなるはず。今の段階でなるたけ物量的に日本海軍の力を削ぎ落とす事が肝要である。」とも通達された。ターゲットを日本海軍に絞ったのである。制海権の確保を優先させた。この通達は、日本の「絶対国防圏」の策定とは真逆で、冷静且つ的確なものであり、実際にそのように経過して行く。米軍はマッカーサー元帥の指示で9月にニューギニアのラシ、サラモア、フィッシュハーフェンを次次に奪還して行き、11月には因縁のブーゲンビル島を制圧する。




