米国海軍大将ニミッツ、情報参謀レイトン
「日本軍の司令官の中には、山本五十六亡き後、彼以上に優れた指導者はいるか?」(米国海軍大将ニミッツ)
「日本には、山本五十六より優れた指導者が一人います。山口多門と言う男です。プリンストン大学に留学の経験もある優秀な男です。しかしながら、山口はミッドウェー海戦で既に戦死しています。だから日本には現在山本と同レベルの指揮官はもういません。」
(米国海軍情報参謀レイトン)
これは最早セリフではなく、会話であるがそこは御勘弁を。さて、この会話は山本五十六がラバウルから近くの前線飛行場である、ブーゲンビル島を視察する事になった時、その視察の日程を暗号電報として、現地の日本軍基地に発信したものを米軍に傍受、解読されてしまった時の話である。
これにより、飛行コースから何時何分に何処に着くかまで正確に解読されてしまった。その報告を受けた米国海軍大将ニミッツが、部下の情報参謀レイトンを呼んで交わした会話である。この確認の意味はこう理解出来る。
これまでの戦いの中で、山本五十六のたてる作戦パターンは読めていた。今、山本五十六を葬る絶好のチャンスである。この好機到来のチャンスを逃す訳にはいかない。指揮官の暗殺で、日本軍に与えるインパクトは計り知れない。だが、山本五十六を葬っても、次の司令官が有能かもしれない。その人物の存在がニミッツ提督には不安だった。
その迷いを取っ払ったのが、レイトンの回答だった。ニミッツ提督は、山本五十六の同乗する航空機の撃墜計画を決める。昭和18年4月18日午前7時半頃、暗号電の通り6機の護衛機を引き連れた山本五十六の乗る一式陸攻がブーゲンビル島にやって来た。待ち伏せしていたミッチェル隊長率いる16機の内の4機が一式陸攻を撃墜。真珠湾の借りはお互い奇襲で決着した。
山本五十六の死は日本にとっても、米国にとっても、太平洋戦争の歴史の中で、時代を区分する大きな出来事であった。真珠湾攻撃の成功に見る英雄的な面と、"狂言回し"の存在としても、両論の意味で、重要なキーパーソンであり、山本五十六閣下が生きておられれば、日本の戦後史は全く変わっていただろう。




