日本世論
「鬼畜米英」 日本世論
これは、セリフと言うよりはワードやフレーズに近いと言えるものだろう。戦時中の日本にはこの様な戦時標語なるものが、溢れかえっていたのである。その中でも日本人らしいのは間違いなく、この「鬼畜米英」である。
"鬼畜"などという言葉は、犯罪者にしか使わない様な蔑まされたワードである。敵国に対する憎悪を高めるには持ってこいで、よく考えられている。勿論、大日本帝国には、もっと大きいスローガンなるものも、あった。「大東亜共栄圏」や、「八絋一宇」等がそれにあたる。
二つの言葉とも、日本が大東亜・太平洋戦争において、アジアを制圧する際に大義名分として用いたスローガンである。
「大東亜共栄圏」は、欧米列強の勢力を排除して、日本を盟主とする、満州、中国、アジア諸民族の共存共栄を謳ったもので、そもそも昭和15年に外務大臣であった松岡洋右が、記者会見で発したのが由来とされている。
もう一方の「八絋一宇」の方は、「日本書紀」の神武天皇が大和の地に都を定めた話の中に出てくる言葉が出典であった。「八絋」とは、「四方と四隅」を表し、八方の遥かに遠い果てを指す。「一宇」は、一つの家の事である。つまり、"八絋一宇"とは、「地の果てまで一つの家の様にまとめて天皇の統治下におく。」と言う意味になる。
どちらのワードも、東条英機や軍部等が演説でよく使った。また、新聞やラジオ、あるいは職場や学校でも、戦争の意義を説明するものとして、日常的に使われていた。今になって冷静に考えてみれば、この二つのスローガンの達成の為に、最も邪魔な存在が米英だったのであろう。
ともすれば、当時の考え方に沿うと、米英は犯罪者以下の鬼畜として扱っても、何の罪悪感も無い訳である。戦時状態になれば、何をやっても許されると言うのは、大きな誤解である。少なくともその様な認識において、戦争をする事自体が無益であり、意味の無い殺し合いを生ませる原因になっている。敵とは言え、敬う姿勢がもう少しあったら良かったのではないかと思われる。




