東条英機③
「すぐに陛下に知らせろ、ありのままを報告しろ。」
東条英機陸軍大将
昭和16年12月8日の夜、首相官邸では帝国陸海軍首脳の大宴会が、行われていた。次々に舞い込む勝利の報に、東条英機はこのセリフの様に上機嫌だったと言う。何かこの時の光景は、その後の日本軍の戦いを象徴している様に思えるのは気のせいだろうか。
「さて、次はどうしようか?」等誰も考えてはいないのだから。実際に「真珠湾攻撃」は、その後に上陸作戦を展開しようとか、ハワイを制圧する等その後の戦略は何一つ考えられていなかった。
帝国陸海軍は、「真珠湾攻撃」より少し遅れて、マレー半島と香港に侵攻し、英国軍相手に大勝利をおさめる。だが、行き当たりバッタリの先見性のない、場当たり的な勝利と言わざるを得なかった。百々のつまりが、日本軍が、米国や英国に完全勝利出来なかったのは、兵力の差や兵器の差も去ることながら、この様な具体的戦略が、何一つ無いまま、開戦に至ってしまったと言う、一点に尽きる。
開戦当時の首相であった東条英機でさえ、この有り様であるから、どう考えても帝国陸海軍に冷静かつ戦略的に戦争を進めて行ける人間などほとんどいなかった。これは、今も昔もあまり変わらない日本人の民族性なのかもしれない。長大な戦略を持たず、比較的短期間で結果を出す事に注力する。その最たるものが明治維新であり、日露戦争であり、大東亜・太平洋戦争であり、戦後の経済成長であり、度重なる自然災害からの復興なのではないだろうか。
その民族性がプラスに働く事もあれば、マイナスに働く事もある。民族性と言うものも考えずに、場当たり的な作戦や政策を指示するのは得策ではない。どういう戦い方がベストなのか、日本の国益になるのかを考えられるリーダーの不在を、嘆きつつも日本が何とかやっているのは、庶民のレベルが高いからである。組織の中で活躍出来る人材も多い。決して、日本人はスペックの低い民族ではない。




