原子爆弾死没者慰霊碑
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。」
広島市広島平和記念公園原子爆弾死没者慰霊碑
この文章をアメリカ人が言うならば話しはつじつまが合う。原子爆弾と言う核兵器を一般市民の大量虐殺の為に、一度足らず二度も使用した事を心から悔いているのならば、まだ可愛げがある。
ところがこの碑文は原子爆弾の被害者であるはずの日本人が書いたものである。まるで、自分達がいけない事をして、主君にお仕置きを食らった子供の様に。主語もなく主体性の無い戦後日本人を実によく表す名文である。と、同時に酷い駄文でもある。これを言い換えるならば、後半部分を変えて、「核兵器は二度と使用させませぬから」の方が合っている様な気がする。
地球上には約2万発もの核兵器が存在する。勿論、それを解体する技術を持っているにも関わらずである。地球全体を何度も消滅させる事の出来るこの核兵器は、最早国防上の兵器と言う枠組みを越えて、必殺の大量破壊兵器と化している。
地球で人類が平和に暮らしたいのならば、核兵器を廃絶させなければならない。核兵器の存在は寧ろ人類の邪魔な存在である。にも関わらず核兵器を廃絶出来ないのは、その威力がどういうものか、核兵器を使うとどれだけの被害が、出てくるのかしらないからである。
しかし地球上の核兵器の約90%は、国連常任理事国の米国、英国、ロシア、フランス、中国が保有している。地球が発射ボタン一つで、消滅する危険な状況は何度もあっただろうし、国連常任理事国が率先して核兵器を廃棄しなければ、非常任理事国も納得しない。人類は、この碑文をもう一度見直す必要がある。核兵器開発競争は過渡期を迎えている。
大小合わせて約2万発。これは過ちを繰り返している。使用する事を過ちとするならば、核兵器を持っているだけでは、過ちにはならないのかもしれないが、結局過ちに繋がる原因は核兵器を保持している事なのである。一体人類は、いつになればこの愚かしい過ちを清算する日が来るのか?