伊藤整
「私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれで良いんだ、これで大丈夫。もう決まったのだ、と安堵の念の湧くのを覚えた。」
伊藤整(作家)
作家の伊藤整はこの様に、「12月8日の記録」にて、この様に語っている。この時の空気は「2・26事件」に端を発した"暴力の肯定"で、神経が麻痺していく感覚に似ている様にも感じられる。
鬱屈した空気の中で、カタルシスを求める。表現は悪いかもしれないが、"麻薬"の様な陶酔感がある。そして何もそうした感情を持ったのは、日本人だけに限らなかった。
カントやワグナーを生んだドイツ国民も同じ様にヒトラーに"しびれて"しまった。或いは戦後の日本にも同じ様な事が起きている。オウム真理教等のカルト教団は、偏差値の高い大学を出た者をターゲットに洗脳をしていた。金正恩の支配する北朝鮮も同じだ。みな裏には暴力装置があり、独裁者に洗脳され、押さえつけられていた。
人間のDNAの中に"暴力"の支配下での"陶酔感"に浸れる、快感や資質の様なものがあるのかもしれない。しかし今、第二次世界大戦当時の「解放感」を表現するのは、どこか罪悪感を伴い、操られる雰囲気がある。
開戦時の姿は間違いなく、素直な日本人の国民性が現れているのは、確かである筈だ。この様な伊藤整の様なセリフが出たと言う事は、百歩譲って、言論統制下にあったとしても、国民の真意に近い物があったと見て良い。つまり、日本国家国民は、望んで戦争を始めたと言う、言い逃れの出来ない真意を持っていた事になる。
この様な開戦に積極的な意見ばかりてはなかった人間もいたが、それでも日本人の大半は戦争遂行の意思はあったと見て良い。だから、本来ならば戦争の責任は、日本国民にも等しく負担すべきものであったのかもしれない。たまたま、その時の政府代表者が大本営陸海軍部だっただけの事であり、そこに責任の全てをなすりつける事で、戦後処理が進められた節がある。
しかし、それは実は真に日本国民が戦争責任を果たした事にはならないのではないか?国民にも等しく負担すべき責任がそこにはあった。




