太宰治
「閉めきった雨戸の隙間から、真っ暗な私の部屋に、光の差し込む様に強く鮮やかに聞こえた。二度朗々と繰り返した。それを聞いている内に、私の人間は変わってしまった。強い光線を受けて、体が透明になるような感じ。」
太宰治(作家)
「走れメロス」なとの著作で知られる、昭和の大物作家である太宰治が、開戦のニュースを聞いて、このセリフの様な感想を述べている。
庶民だけでなく、知的階層においても、当時は感状の発露が見られた。と言う事はつまり、国民としても、米英連合軍との戦いを不可避とし、大日本帝国ならば、勝利が可能だと本気で信じていたのではないか?と言う疑問が生じて来る。
戦後世代の人間にとって見れば、戦後の日本国の歩みと、伝えられている歴史では、矛盾があると思うのは、気のせいではないだろうか?そして軍部だけをスケープゴートにする事によって、最も責任逃れをしていたのは、実はマスコミや日本国民だったのではないか?
武人(軍人)は確かに敗れた責任をとる必要がある。しかしながら、政治責任は銃後にいた政治家と国民が等しく責任を取らなければならない。何故ならそれは、軍人には政治責任が問えないからである。そして、そういう役割分担をきちんと明確にする事が出来るのが、シビリアンコントロールであり、議会制民主主義ではないだろうか。
国民に責任が無いと言うのは、嘘だ。これだけ軍部を焚き付けておいて、帝国陸海軍が敗れたからといって、無責任にもギブ・ミー・チョコレートを求めたのは、戦後の安全保障の矛盾を生み出した事もまた、事実である。日本陸海軍は、矛として真っ先に勇猛果敢に命を張った。それに対する銃後の国民の態度があまりにも酷い。これは、戦った者も、これから戦うかもしれない者も、決して報われない。
その様な矛盾を抱えたままでは、日本の防衛体制は、危機に瀕する事だろう。この太宰治のセリフからは、その危機感も感じられる。日本人は今一度どうするべきか再考すべきである。




