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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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海軍軍令部

 「このまま油が無くなったら、日本はどうなるか分からない。」

 海軍軍令部

 一体石油の備蓄は、どのくらいあるのか?他の資源は、どうか?工業力はどうか?日米の正確な戦力差はどのくらいなのか?東条英機は、開戦が回避可能かどうか、今一度陸海軍省の担当者達に命じて、基本となるデータを全て出させる事にしている。

 昭和16年10月23日~30日迄の間に大本営政府連絡会議は、「項目再検討会議」を開き、日本の必要とする物資の10数項目のデータの調査が行われた。しかし、東条英機の元に集まってくる数字は、どれも絶望的な数字ばかりであった。

 特に石油の備蓄はこのままだと、2年は持たないとの結論であった。また、このデータが出されると、海軍軍令部はこの様なセリフを何度も執拗に迫ってきている。東条英機は、最早抜き差しならぬ状況に追い込まれていた事を知る。同年11月2日に開かれた、大本営政府連絡会議で、東条英機を始めとする参加者達は、こう結論付けた。

 「日米交渉を続けながら、戦備も整える。しかし、11月29日迄に交渉不成立ならば、開戦を決意する。その際武力発動は、12月初頭とする。」

 と言う事になった。12月初頭と期限を定めたのは、石油の備蓄量を逆算して、限界の日時である事。また、その時期以降になると、季節風で太平洋南方の波が荒くなり、海軍に利になると考えたからであった。日本は、米国との最終通告として、強硬案である「甲案」と、「甲案」後の落としどころとして、提出した「乙案」の2パターンを用意。

 さらに、野村吉三郎駐米大使の助っ人として、「三国同盟」の調印を為した、来栖三郎を全権大使として、米国に送り込む。ところとして、提出する甲乙両案共に米国は全面拒否し、逆に11月26日、日本に通称「ハル・ノート」と呼ばれる最後通知を渡してきたのである。「ハル・ノート」は、何て事はない、今までの米国の主張を羅列したものであり、厳しい主張は全く変わっていなかった。

 これを受け、11月27日の大本営政府連絡会議を経て、12月1日の「御前会議」で正式に昭和天皇に報告し承認され、対米英蘭開戦が決定された。

 

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