東条英機②
「人間、一度は清水の舞台から飛び降りる様な覚悟も必要。」
東条英機陸軍大将
埒のあかない日米交渉に痺れをきらしていた。そんな状況にあって、一刻も早く戦端を開くべきだと言う、強硬論一色に染まって行く世相を、端的に表している様である。
しかし、陸軍はそういう強硬論を持っていたとしても、それを実行(発動)する事は出来なかった。太平洋戦争において実行(発動)出来たのは唯一海軍のみであったからである。
と言うのも、太平洋の島々が主戦場となる為、陸軍は海軍の護衛がなければ、戦う事が出来なかったからである。これは後程説明するが、太平洋・大東亜戦争の主要因として、陸軍悪玉説や、海軍善玉説が、流布する中において、一石を投じるモノである。
あの戦争は、一体誰がどの様に始めたのかを知る事は、大切な事である。何故ならそれは、歴史の教訓に成りうるからである。確かに、東条の言う様に、一度は清水の舞台から飛び降りる覚悟も必要なのかもしれない。
しかし、戦争を一度は経験していれば、日本は駄目になる。と言う言い換えにしか聞こえないのは、私だけではないはずだ。そういう様な意気込みは大切だが、何もそれが国を滅ぼすような危ういものではなくてもいい筈だ。
東条は、仮にも陸軍大臣であり、開戦時には内閣総理大臣を務めた男である。もう少し大局的な判断の出来るリーダーが、いなかった事は当時の日本にとっても、現代の日本にとっても、不幸であり不運であっただろう。
負けると分かっている戦を始めたのは、愚かな精神主義に頼りきっただけではない筈である。「日本全体が変調を期していた時期」であると後の内閣総理大臣吉田茂は、後に述べているが、果たして一体どうして日本は、この様な状況になってしまったのかと言う事を、詳しく見ていく必要はある。清水の舞台から飛び降りたのは良いが、身を滅ぼしてしまっては、何の意味もないだろう。




