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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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河辺虎四郎

 「蘇は遂に起きたり!予の判断は外れたり。」

 河辺虎四郎関東軍陸軍中将

 敗戦が決定的となった段階でも尚、ソ連の侵攻は「あるはずがない。」と決めてかかっていたのは、関東軍だけであった。昭和20年(1945年)4月にソ連は、中立条約の延長を求めない事を日本政府に通告した。

 前年(1944年)11月6日、スターリンは大規模な演説をして、「日本は侵略国家である。」と、初めて決めつけ敵視を露にした。ナチスドイツ降伏後は、シベリア鉄道を使い満州国境に兵力と火力をドンドン送り込み、極東ソ連軍の強化に大わらわとなっている。それに加え、米ソ・英ソ間で相互援助条約が結ばれている事も、承知している。

 米国が戦時中にソ連に送ったのは、自動車4千万台に、大砲9600門、飛行機18700機、戦車10800台。これだけの物量があれば、ドイツも関東軍も、どうしようもない。これでも、ソ連は既に米英と組していると、関東軍は分かっていなかったのだろうか?

 いや、そうではない。こうしたいくつもの情報は、欧州から国境線を越えて満州にいる関東軍は勿論、東京の大本営にも届いている。日本政府は、「ソ連軍の侵攻は昭和20年(1945年)8月か遅くとも、9月上旬辺りが危険。」と、びくびくするが、関東軍首脳部は事態を軽視して、重大に受け止めていなかった。それは何故か?作戦準備が全く整っていなかったからである。起きて欲しくない事は「起きるはずがない。」という事にしてしまう。終いには、「絶対に起きない。」という結論に帰結する。

 関東軍は、情報というよりは、目の前の現実から逃避して目をつむってしまった。同年(1945年)8月9日恐れていた事態は現実のものとなる。ソ連軍が大軍を率いて満州に侵攻。その後満州にいた関東軍は成す術もなく、蹂躙された。作戦部長宮崎周一陸軍中将のソ連軍侵攻の直前の日記に、「ソ連は8、9月対日開戦の公算大であるが、決定的には、尚余裕有り。」と記されている。更に、関東軍作戦参謀次長である河辺虎四郎陸軍中将は、このセリフを放っているが、このセリフは、悲痛を通り越して、その「お人好し」は滑稽にすら思われて来る。日本人の情報軽視、つまり情報収集能力の欠如、どれが大事かと言う分析能力の欠如等があった。それらは現代に生きる日本人にも当てはまるだろう。

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