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名ゼリフから読み解く 大東亜・太平洋戦争  作者: 佐久間五十六


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小沢治三郎⑤

 「もう、そっとしておいてもらいたい。戦争の事は話す事はおろか、聞くも読むも御免だ。まぁ、そうだな。このままそっと消えてしまいたい気持ちだよ。本当に数多くの優秀な人を死なせてしまった。申し訳ないと思っている。それを思うと、周囲の情勢がガラリと変わったからと言って、主義主張を変えて平気な連中の多い事をワシは、心から残念に思うのだが…。」

 小沢治三郎日本海軍中将

 最後の連合艦隊司令長官を務めた小沢治三郎中将は、戦後戦争について、このセリフの様に語り口をつぐんだと言う。ラジオを聞き、とりわけ英語講座を楽しみに聞いていた。敵性外国語の英語がこんなにも、難しいものかと今更ながら思ったと言う。

 生き残った将官達の戦後の変節に一抹の釘をチクリと刺し口を真一文字に結んだ。多くの未来ある若者を、死地に追いやっておきながら、主義主張をガラリと変えてしまう、その無責任さを小沢治三郎中将は、嘆いていたのである。小沢治三郎中将には、戦後まで生き残る気持ちはなかった筈である。

 何故なら大東亜・太平洋戦争で、死に場所を探していたからである。その筈が、結局死する事無く戦後まで生き残ってしまった。勿論、彼も人間だ。生き残った事は良しとするべきだろう。しかし、戦争で生き残った人間にとって、戦後の日本は矛盾だらけで、非常に生きにくい世界へと変わってしまったのかもしれない。

 事実、多くの人間が戦争の事についてペラベラ語る事は無かった。戦後の戦争を経験していない世代に戦争体験を語ったり、記したりしても、理解出来る様な物ではないと思ったし、何よりも戦後日本の空気が、戦争を封印する事を容認してしまった。

 戦争を引っ張った指導者にとっても、赤紙で召集された様な末端の兵士でも、戦争と言うものは人生を変えうるインパクトのあるものであった。実際に体と心を病んだ兵士も沢山いる。東京裁判で、戦争犯罪人として裁かれた将官もいる。それでも、日本兵はプライドだけは棄てなかった。自分が、帝国軍人としてやって来た事が、仮に間違いだったと世間に評価されたとしてもである。自分が自分を信じられなくなれば、人間は終わりである。その最後の一線を越えなかった事が、踏みとどまれた事が、戦後を生きれた理由であろうと思う。小沢治三郎中将と言う男の生き様を見ていると、そう感じずにはいられない。

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