佐々木彰
「長官の真意がそこにあると知っていたら、我々幕僚も、もっと協力的であっただろうに。」
佐々木彰日本海軍中佐
真珠湾攻撃の第一次攻撃は一方的とも言える戦果を上げた。空母赤城に戻った攻撃隊総隊長の淵田美津雄中佐は、南雲忠一中将と草鹿龍之介参謀長に問われる。「追撃は必要であるか?」と。淵田美津雄中佐は、湾内にはまだ多数の巡洋艦が残っており、工廠(艦艇修理や兵器弾薬を製造する場所)や、燃料タンクはまだ手付かずである事を伝え、二次攻撃の必要性を主張する。
ところが、南雲忠一中将と草鹿龍之介参謀長は、怯んだ。真珠湾内に米国海軍空母が一隻もいなかったからである。敵空母戦隊は、真珠湾攻撃の事を米国太平洋艦隊司令部から、報告を受けているに違いなく、日本海軍艦隊と機動部隊を、探し回っているかもしれない。南雲忠一中将は、敵を深追いして日本海軍虎の子の空母を失いたくなかった。
南雲忠一中将は決断を下す。「所期の戦果は達したものと認める。第二次攻撃を行っても、大きな戦果は期待しえないであろう。よって帰還する。」と。
柱島泊地に控えていた、日本海軍旗艦長門の作戦室では、機動部隊による真珠湾再攻撃の可否について、激論が交わされていた。山本五十六元帥は、再攻撃を強く望んでいたが、既に機動部隊は高速で真珠湾を後にしている。
「南雲忠一中将部隊の被害状況が、少しも分からぬから、ここは現場の判断に任せておく事にしよう。それと今となっては、引き返して攻撃するのは、もう遅すぎる。」
と、山本五十六元帥の意向を南雲忠一中将がくんでいたら…。山本五十六元帥は、渋々追撃を諦めている。真珠湾攻撃を何の為にやるのかと言う事をもし、機動部隊の指揮官に伝え、その参謀達にも言い伝え、さらには作戦を統括する軍令部の参謀達にも、きちんと共有出来ていたなら、太平洋戦争の入り方は違っていた事だろう。
佐々木彰中佐は、染々とこのセリフを語っている。真の目的を部下と共有する事。それは、プロジェクトリーダーとして最も重要な能力であり、英雄山本五十六元帥に最も欠けていたものであった。




