山本五十六⑦
「尋常一様の作戦においては、見込み立たず結局、桶狭間と鵯越と川中島とを併せ行うのは、やむを得ざる羽目に追い込まるる次第なり。」
山本五十六日本海軍元帥
山本五十六元帥は、真珠湾攻撃作戦を敢えて刊行真意が語られた、このセリフを残している。しかし、考えてみればこれはおかしな事。作戦、つまり統帥事項の全責任は、軍令部総長に在るのであって、海軍大臣の職責ではない。山本五十六元帥がそれを知らぬはずもなく、それを承知で書簡を海軍大臣にあてたのは、山本五十六元帥に魂胆があったからである。
真の狙いは、作戦の説明よりも人事にあったと言える。山本五十六元帥は、機動部隊を率いて前進するから、連合艦隊司令長官は、米内光政大将を充てて欲しいと、山本五十六元帥は再三に渡り繰り返し海軍大臣に説いている。
しかし、そんな破天荒な人事は可能であったとは考えられない。その無理を押してまで、人事権を持つ海軍大臣に注文する辺りは、如何に山本五十六元帥が海軍中央に不信を持っていたかが伺える。
山本五十六元帥の頭の中では、昭和14年(1939年)に、三国同盟反対時代の海軍では、立て直しメンバーの(米内光政、井上成美、山本五十六)を復活させる事。この体制で海軍中央にいる対米強硬派グループを追い出して、太平洋戦争へ突き進む政策をひっくり返し、和平へと逆転させようと試みた。
しかし、山本五十六元帥の託した最後の人事異動にわずかな望みを託す。そういった経緯があった。必敗の戦いだけは、山本五十六元帥の願いとしては、どうしても避けたかった。だが、殺れと言われればやる。身を滅ぼすのはもちろん、国家存亡に関わる重大事案であると、山本五十六元帥は主張した。
山本五十六元帥の戦略はこうだ。米国海軍艦隊の初動を叩き、全力決戦を持ってこれを制す。敵の戦意を一気に失墜させ、その上で何とか講話に持ち込み、獲得したモノを全て手放す。これを持って一挙に戦争を終結に導く。開戦せざるを得ないなら、とるべき選択肢はそれ意外にない。
それが、山本五十六元帥の考えであった。二人の海軍大臣に避戦の為の人事を求めつつ、同時に奇襲作戦の真の目的を示していたのである。緒戦での徹底的な勝利の際には、その機会に講話に持ち込んで欲しい。それを海軍中央にはしてもらいたい、と考えていた。




