第一話「困窮」
密室。出入りする扉は存在せず、物ひとつ無くただ真っ白なだけの空間。
「どこだよ ここ…?」
壊斗の発した声は、狭い部屋全体に木霊する。
───っっっ!!!!
ついさっき我が身に起きた出来事がフラッシュバックする。息が詰まる程の強い衝撃が身体に走る感覚。肉や皮や骨、内蔵がぐちゃぐちゃに潰されていく感覚。体が分解され細切れにされて行く感覚。
鮮明に体に感じた。
その痛みで自分が死んだ事を再度認識する。フラッシュバックを実体験するのは初めての事だ。
何度も涙を流しながら嗚咽をしたが、吐瀉物を吐き出す事は無かった。
時間として十分後、落ち着きを取り戻てきた頃。
「おい 何なんだよここ!出せよ!聞いてんのか!」
気が狂いそうな気持ちを胸に秘め、壁に向かってそう叫んだ。
「…無視かよ」
何も無い部屋に監禁されてから一体どのくらいの時間が経っただろうか。度々訪れるあの感覚、光景が頭から離れない。
腹も減らず、尿意や便意すら催さない。頻尿気味な壊斗にとって、何時間もトイレに行かずに平気な事に違和感を感じる。
壊斗は脱出を試みた。壁や床を引っ掻く。突く。叩く。殴る。蹴る。
その全ての行為に意味を成すものはなかった。無意味で無駄な行為だ。
内心そんな事分かっていた。だけど爪が剥がれるまで壁や床を引っ掻き続け、指が折れる程の強さで突いた。手が腫れ上がる力で叩き、拳が血だらけになるまで殴り続け、足首がおかしくなる程蹴り続けた。
最初はこの場から出ようと必死になったものだが、不可能だと悟りやる事を思考に変更した。
死後の世界?そんな物はないだろう。迷信を信じないに俺にとって、死後の世界など妄言に過ぎない。と思っていた。実際に体験するまでは。だが自身が目の当たりにしたものは、言い伝え等とはうってかわって質素で無機質なものだった。
幾ら考えても結論には辿り着けなかった。答えが無い事柄だからだ。自分のスカスカな脳みそでは考えるだけ無駄と思い、考える事さえも取り止めた。
もう一日は経過したはずだ。眠気は全くなく、腹は減らない。満腹な訳でもなく、かといってお腹が空く訳でもない。絶妙な丁度良さ。
ここまで長時間静かに過ごしたのはいつぶりだろうか。嫌な記憶がよぎる為、その事について考える事は辞めた。
閉じ込められて実に三日という時間が過ぎた。妄想のネタも尽き、やる事が何も無い。
二日が過ぎた後から何度か自殺を目論んだ。自分で首を絞めたり、頭を地面に強く打ちつけたり。結論、それら全てが失敗に終わった。残ったのは痛みだけだ。
孤独と不安で心が押しつぶされそうだった。もう嫌だ。どこでもいいから今すぐここから出してほしい。
そう願った瞬間、自分が発したものでは無い"音"が聞こえた。久しく聞いていなかった音で、酷く五月蝿く聞こえる。
「──眩しッ!」
白い部屋を打ち消す程の強い光に眼球が驚く。
その声は(居心地はどう?)と繰り返し語りかけてくる。
誰だ。
(神だ)
神(笑)はそう言い放つ。
徐々に目が光に慣れていき、神とやらの顔を覗き込んだ。そこには神々しい何かが存在していた。人型に見えなくは無いが、姿が掴めず、この世のものとは思えない姿をしていた。
声が耳ではなく"脳"に直接語りかけられている事に気づいたのは神に直接言われてからであった。感想は「言われてみれば」といった感じだ。
とても気持ち悪い感覚だ。
神はやわらかい口調ではあるが、何処となく冷たい声色が垣間見え、身の毛がよだつ。神の威厳ってやつか?
ただでさえ死んだ時の痛みのフラッシュバックにさえ克服していないのに、立て続けに新しい感覚に苛まれていき、多すぎる情報量脳はパンク寸前だ。
「そうですか 俺は何日ぐらいここに居たんですか?」
壊斗は会話が出来るものが現れ、少しだけ嬉しく感じた。状況が状況で素直に喜ぶ事は出来なかったが。
(三日だ)
壊斗はその答えに驚愕した。実際に経過していた時間と自分が思っていた時間に誤差があり過ぎたからだ。体内時計では、ゆうに一週間は超えていた。
「そうっすか… で 一体ここは何なんですか? 神様」
段々と苛立ちが込み上げてくる。三日間も無駄な時間を過ごさせられたことに。
俺は目に見えないものは信じない主義だ。神や幽霊なんざ信じちゃいない。薄々気づいてはいたが、これは夢なんじゃないか? 大体踏切を超えた所で音に気づかないでボケっと立ち尽くして居るなんておかしな話だ。
ただ、実際神が目の前に立ち尽くしている。神々しさが滲み出ている。顔は見えないけれど。夢ってことで片付けておくのが1番楽なんだけどな。
(僕に対して敬語を使う必要はないよ ここは死後の世界 誰もが死後にこの場所に来るんだ 自分と向き合い けじめをつけ 生まれ変わる為に …普通はね)
神は続けて(君は選ばれし人間だ)と口走る。
「…は?何言ってんだ」
とうとう我慢の限界に達してしまった。色々な感情が込み上げてくる。
(この場から出るためには"異世界"に転生する他ない 普通は別の生物に生まれ変わるんだけど…君は選ばれたのだ〜)
「選ばれた? 何言ってんだ… ふざけたこと言ってんじゃねぇ… それが三日も何もねぇとこに放置した言い訳か…?」
(敬語を使わなくて良いとは言ったけど横柄な態度をとっても良いとは言ってないよ それに誰しもが羨む異世界転生だよ? 素直に感謝し、喜びを顕にする所だろう)
「ふざける所か普通 異世界? んなもんアニメだけの設定だろうが 仮に本当に異世界転生させられるとして 喜ぶ訳ねぇだろうが 誰でも異世界に行きたいだなんて思ってる訳ないだろ 少なくとも俺は絶対に嫌だ 死と隣り合わせみたいな糞みてぇな世界に誰が好き好んで行きたがるんだよ 戯言をほざくのも大概にしとけよ くだらねぇ事言ってねぇで早く生まれ変わらせろ 異世界転生するぐらいならまだ蚊になって潰されて死ぬほうがマシだ」
(なら一生そこに居なよ ただし!ここでは死ぬことはない 三日程度で精神を病んでいた君に果たして耐えられるのかな? あ、でも死と隣り合わせが嫌な君にとっては絶好の場所だろう なんせ死なないんだしね)
(最後のチャンスだ 大人しく異世界に転生させて欲しいと言え 君にはそれ以外の選択肢は最初から無い筈だよ)
「…!」
神の方が上手だった。完全に言い負かされた。揚げ足まで取られて。何も言い返せなかった。思えばどこでもいいから出して欲しいと願ったのは俺だった。そして神が現れたんだ。最初から答えは一つだけだった。こんな何も無い所に居続けさせられるよりはマシだ。
「分か…りました…異世界に転生させてください…」
(やっと観念したね だけどもう後戻りは出来ないよ? ここで悠久の時を過ごすか異世界で順風満帆に暮らすか…)
「行くよ てゆーか神様も答え分かってて聞いてるんじゃないのか?」
神は薄気味悪く笑う。
(じゃあ今から異世界に転生させる 目を瞑って)
神がそう言い、目を瞑った瞬間に意識が飛んだ。