四十二話「斥候」
日没の近づく申の二つ、団三郎と薬師は盆地の中の小さな雑木林に身を潜めていた。前線が出来るであろう平地からは少しばかり離れた所だ。
「さて、もうそろそろだろうか。薬師童子だったか、本番は今宵からになりそうだ。可能な限り人間に被害を出すなよ。夜が明けてから両方の長をとっちめる為に今晩の被害を抑えるんだ。」
「分かった。」
今は日の落ちんとする刻、夜は人間にとって休息の時間であり、同時に畏怖の対象である。夜に人はまともな行動を起こすなんてことは叶うはずもなく、その時間はなされるがままになるしかないのだ。対し魔族は夜にもっとも活発になる。何故ならば僅かながらであるが神や妖と同じく月からの力を受けることが出来るのだ。だからこそ今宵においては人を守り、まともな戦いを始めてもらわなければならない。
「さて、夜までは暫くある、少し腰を落ち着けようじゃないか。」
「そうしましょう。きっと大丈夫ですよ。」
そう言って二つが緊張を弱めたその時。何者かの振るった刃が団三郎に届こうとした。幸いながら気づくことが出来た故に素早く屈むことでその害意を避けることに成功し、その刃はすぐ隣の木を掠めた。
「やはりいたな、斥候か。こそこそ隠れてないで姿を見せたらどうだ?」
そう言うと影に潜みその姿の良く見えなかった何者かが茂みの枝を切り落としその姿を月光に晒した。その姿は藁を着込んだ赤鬼であり、その刀は長く、そして凍てついていた。
「……おいおい、悪い冗談はやめてくれよ。ナモミハギよ。」
燐寸をその箱の横についている紙やすりで擦り火をつけ煙管を加えながら団三郎はそう言う。対するナモミハギはだんまりだ。そしてその目は虚ろで何も見ていなかった。しかし体は不気味に揺れており、遂に突然とその長い刀を今度は薬師に向けて振るった。刹那に薬師は体を水へと置換し、その凶刃を逃れる。さらにナモミハギが刀身を振るったことによりできた隙で団三郎はその下駄の付いた足を大きく回しナモミハギの後頭部を強く殴打した。地面に頭を擦り付けるナモミハギ、団三郎にも手応えや感触はしっかりと有った。ただナモミハギの体は未だに動く、それも糸に惹かれる人形のように。
「これ、何か可笑しいですよ!」
世界への経験が浅い薬師でもどこか異常な事は十分に理解できた。明らかにナモミハギのその本人の意思で動いてはいないであろうことは確実だ。
「……どうやら嵌められたようだな。どれだけこの妖の皮を被った身代わり人形を殴っても意味は無さそうだな。」
「はっ?嵌められたってどういう……」
そう言って薬師は振り返ると、その目には糸人形が如く明らかに不自然な動きをするナモミハギ達がわらわらと潜んでいた。
「上だな。」
そう言って団三郎は跳躍し、一本の木の枝の上に立った。するとそこには一面の蜘蛛の巣が広がっており、その中心には下半身は高さが人間の膝までほどあろう巨大な蜘蛛で上半身が人間の女の姿を取った大型の異形が鎮座していた。
「成程、合点がいったぞ。お前がナモミハギを操っていたのだな。半蜘蛛半女。」
蜘蛛の上に佇む女は目を閉じたままにこりと微笑んだ。