三十六話「知らずを知りて詠める」
魔女は荒んだ村に踏み入った。曰く鬼の襲撃を受けたそうだ。田畑は荒れに荒れ、抵抗を試みた男衆だったであろう肉塊、肉片がそこらに転がり、踏みしめられ草の生えなかった畦道も真っ赤に染まっていた。
「凄惨だな。」
母国の言葉で彼女はそうつぶやいた。ここは都に近い集落であり、襲撃されたのはあの女神――即ち吞乃水城が来た頃とちょうど一致する。故に何かしらの手がかりが見つかるのではないかとにらんでいた。
(しかし、何となく来てみたはいいものの大したものは無さそうだな。それにあまりにも赤い景色が目から頭へと痛みを流し込んでくる。もう少し見たらさっさと引き上げるか。)
よもや半ば諦めながらも凄惨な姿の集落の奥へと進んでいく。すると先の諦めを嘲笑うかのように、異様でかつどこか悍ましい錫杖が何かの肉片に突き立てられていた。薙刀には何かわからない多くの札が貼られ、触れてはならぬと語りかけてくる様であった。しかし魔女の好奇心は、その語りを無視して、その錫杖へと手を伸ばした。
――神秘と真実は何時しか邂逅したはずであった。しかし、いつしか真実が神秘を淘汰し。真実が世界を崩した。夢現は分かたれていたその時に、現の総てが崩れた故に夢が全てを包み込んだ。暖かい液に浮かぶ胎児の背には硝子の羽が揚羽蝶の如くに突き刺さり。煌びやかに事実を映そう。月の赤子は総てを映し。その姿をもって未来を奪われ続ける。輪廻の夢と在るものか。現の場所に佇むは、行けとし生きる一人なり。胎児の姿が萎るれば。萎るることなく、続きゆく。ありしべきには夢のみで。現は全ての平である。高天原にあるは砂のみで。楼閣作るも崩れずに。強固に理想を堅実に。終わらぬ停滞の終焉は視界へと入り始める。月の赤子のその顔は、すべてを知らぬ無垢であり。総てを作る悪である。その親は何時だって智を塞ぎ、その栓をもって慈しみを与えん。息を吸うたびに胸に羊の綿が詰め込まれる水の中で、魔女は世界と邂逅した。目のその鏡のような白と黒の珠に映る羽虫の硝子の向こうには、多くが灰でしかしいくつかの彩度は高く。智の栄に淘汰される神秘を垣間見た。映る神秘の混沌が彼女の中を蝕み続け続け。世界へと吐き出された。
――東の隠れ里にてタチガミは何かを感じ取った。
「吞乃様、何者かが私に触れました。この魔力は恐らく魔族の何者かかと。」
「成程、分かった。魔法を持っているという事は生きて帰ったかもしれん。恐らくは心が壊れたと思うが一応警戒しておくべきだな。」
「了解しました。」
二柱は手短に問答を終えた。
(――あの魔女だろうか。都の処理役人にはタチガミの切片には触れないように言っているし。タチガミ自体が縁を切っている。そうして、あの村を怪しむ人間……まず間違いなくあの女――端居霞子か、その師だろうな。)
「嗚呼、到天 壊れてしまおう 神秘故 真実なれば 暗所にて?」
真っ赤な土の上で。月の影にまどろんだ目をした魔女が宵闇の中で詠んだ。