三十三話「御神の子」
――さて。吞乃の方はと言うと、浴場に入る前までは長かった筈の髪が短くなっていた。そしてそのまま手ごろな湯船に浸かる。
「あぁ~。いつ振りかの風呂は気持ちいいな~。」
喜びと感嘆を口に出した吞乃はそのまま体を憩わせていった。しかし、休まる時間はそう長くはなかった。
「おっと、これはこれは吞乃様。良いんですか?こんなところで羽を伸ばして。人と魔族が衝突するそうじゃないですか。」
ある時分で突然長い髪を後ろで結った女が話しかけてきたのだ。
「……アメノホヒか、それに関しては問題ないさ。今は河童が仕事するときさね。それこそアンタの方こそ、出雲も天原も留守にしていいのか?」
「今日は休んで良いとのことです。大国主命も何かを感じ取られたのでしょう。休む場所を江戸だと態々場所を示されたのですから。」
「さすが縁結びの神だねぇ。やることが違う。」
そう言って吞乃は「カカカ」と高笑いした。少し目立ち過ぎているが、天津神がいる以上周りの者たちも言うに言えない状況になっている。そんな事も露知らず、吞乃は会話を続ける。
「そういえば吞乃様は高天原には来られないんでしょうか?いくら国津神とはいえ貴方様なら何を言う物もおりませんが。きっと祖父母も歓迎されるでしょう。」
「あ~、それに関してはだな……。別に行っても良いんだが、やっぱ下界の方が落ち着くんだよな。向こうの奴らと呑んでも楽しいには楽しいんだが、何か物足りないんだよな。郷愁だろうか。」
吞乃は彼女に微笑みかける。
「そうですか……。貴方様にはそれだけの力があるはずなんですけどね……。天津の神として生きていけるだけの力が。」
「まあ、残念だったな、私にゃ今が満足なのさ、人の輪廻が後十週回ってもきっと飽きないような、それだけの素晴らしい満足が私の中には流れているのさ。」
吞乃は俯き、何かに思いを馳せながらそう言って、天津神の誘いを断った。
「そうですか。いつでもお待ちしておりますので、気が変わられたらいつでもお呼びつけくださいませ……。それでは、ここらでお暇させてもらいますね。」
そうしてアメノホヒは湯船から体を揚げて、浴場から出ようとした。しかし、ある程度進んだところで振り返り、口を開いた。
「おっと、一つ伝えるべきことがあったのを失念しておりました。今度の進軍、私の母が動くそうですよ。」
その言葉を聞いて吞乃は唖然とした。しかし、即座に何時もの調子を取り戻し、考えた。そうして数秒が過ぎた後、吞乃が口を開く。
「ありがとう、その話を伝えてくれたのは助かった。」
「それはそれは、光栄で。何か言いたいことはございませんか?」
「……そうだな、あいつに伝えることはないがお前に伝えることがある。」
「ほう?何なりとご申しつけ下さいませ。」
「利口だな。お前に伝えたい事と言うのは、『鴉の躾を忘れるな』って事だ。同じ太陽神同士何とか出来るだろ?」
「承りました。しかし、私は豊穣の神なのですよ。」
何ともとぼけた顔でアメノホヒは言の葉を紡ぐ。
「……都合のいい。」
「そうでしょうね。まあ、今度こそお暇させてもらいますよ。」
(――帝は本気だな。何故本気なのだろうか。)
アメノホヒが席を外した後、吞乃は思慮に耽っていた。ただ、その疑問への回答の難しさに、いつしか考えることを止めて湯船に張った湯に身を任せ、この場所を堪能していた。
「――さて、そろそろ上がるとするか……。」
彼女が風呂から上がると同時に短かったその髪は長くなって行き。湯船の湯のかさが大きく減ったという。