二十九話「役小角」
「さて、河童どもに自由に仕事するように指示したは良いが、冷静に思うとあまりにも人間側の情報が少ない……。さてどうしたものか。」
相変わらずの岩の上で吞乃はそうつぶやいた。そうだ、自らも持ちえない情報を河童が得る方法を持つとは考えずらい。それが意味するとことは即ち、河童たちの勝ち筋の細さである。
「お困りのようですねえ。」
そう言いながら入って来たその者は漆黒の翼と羽毛に身を包んだ鴉の顔をした男で、彼は二体の男形と女形の鬼を携えている。そう烏天狗、それも大天狗で、天狗の頂点だ。
「これはこれは役小角の。人の話はあんまり盗み聞きするもんじゃないぞ。」
少し不機嫌に吞乃は口に出す。如何せん物事がうまく運んでいないのだ。そんな吞乃をなだめるように天狗は言う。
「まあまあ、そう怒らずとも。吞乃様は組織というモノに慣れておられない。そしてその性格故に組織の長としての適性も低い。故に河童たちの扱いに困っているわけです。」
「よくもまあ、そんな事を勝手に知ってくれてるもんだねぇ。」
「それが私達ですから。同様にして人間の情報も持って来ましょうか?」
「回りくどいもんだ。」
吞乃は微笑みながら大天狗に向かってそう言った。対し大天狗はカカカと声を上げて笑う。
「それじゃあ、どうしましょうか。私が行ってもいいですよ。決定権は貴女にあるのですから……」
「いや、流石にそれは却下だ。今回の河童たちの指導者はあくまでも平蔵。アンタの出る幕は無いさ。だからそうさね……若い天狗を一つ、頼んだよ。」
「承りました、それではお望み通りに……大よそ二日程度でこちらに来るでしょう。」
「それじゃあまたな。……それと、次からは恩の売り方を考えた方が良いぞー。」
意地の悪い顔で吞乃は天狗を揶揄うように言った。
「……つれないお方だ、返す事は出来ても売ることはできませんよ。」
「そうか?あまり気にしなくてもいいと思うがな。」
「……貴方のその優しさに、救いのあらん事を、僭越ながら願わせてもらいます。」
そう言って鴉羽の中に隠れた手を出し、二体の鬼の首を掴んだかと思うとその大きな黒の翼で大天狗は飛び去った。
「さて、今のを聞いていただろう、タチガミ。」
「はい、それでは河童たちに伝えてきますね。恐らく平蔵も問題なく受け入れるでしょう、河童と天狗では年季が違いますが、彼らも人間の情報には疎いでしょうし、渡りに船でしょうから。」
「最初からそんな事気にしてないさ。」
「……これは失礼いたしました。それでは失礼します。」
そうしてタチガミは退出した。
「恩を返すことしかできない、ねえ……そんな大層なものなんかじゃない、どこまで行っても私のエゴさね。ただ、居て欲しいだけ、いづれの時にか君たちが消えるやも知れぬ時は、また私が手を出そうじゃないか……。滅びの時はいつだろうね……。」
吞乃がその聞きなれない単語を呟くようにして口にした事を知る者は、只誰一人として存在しなかった。ただ、河童たちに人間の軍の情報を伝える天狗に関して、懸念は持っていないようで、そして、形あるものとして、いつの日にか来る終わりへと心を向けていただけだった。