春は常に
結局はどちらも美しい。
昨日から夜通し降り続いた雪は、日の出前には止んでいた。
足を進める度にぎゅ、ぎゅと踏みしめる雪が鳴る。吐き出す息は白く、すぐに冷たい空気とまじり合ってしまう。
「閣下、寒さはお辛くありませんか?」
ハノーニアは隣を歩くエルグニヴァルを伺い見る。
朝の散歩として、こうして並んで歩くのは早いもので両手の指だけでは数えるのに足りない。勿論完全に二人っきりではない。見えなくとも幾人もの護衛の気配を感じる。私邸の敷地内、その広大な庭園。箱庭であろうとも、こうして一緒に過ごす時間を作ってもらえて、ハノーニアは口元がゆるんでしまうのを耐えられない。
「いや、大丈夫だ。ありがとうハノーニア。
ハノーニア、お前こそ大丈夫か?」
「はい閣下。大丈夫です」
前世もどちらかと言えば雪深いところで生まれ育った。まぁ今生の方が緯度は高いのでやはり勝手は違うが、軍人として日々の訓練をきっちりこなしていることもあるのだろう。筋肉は裏切らない、なんて言葉が脳裏を過り、その後をでも脂肪の方が断熱的には良かった気もする?なんて言葉が追いかけていって。一瞬、ハノーニアはどこか遠くを見る。
「そうか。だが、あまり体を冷やしてはならんぞ。冷えは大敵と聞いた。特に、女性には」
「ん…は、はい」
秋空色の目を柔らかく細めたエルグニヴァルが元々離れていなかった距離をより縮めてきた。隣り合っている手を自然な動きで繋がれ、米神辺りにそっと頬を寄せられる。普段なら制帽やヘルメットがあるが、安全が確保されているということで今はその守りがない。エルグニヴァルの微かな呼吸を直接肌で感じ、ハノーニアは唇をきゅっと食んで目をつむる。
「…嗚呼、美しいな」
「か、かっか?」
零れ落ちた囁きにハノーニアが目を開けば、鼻先が触れる距離にエルグニヴァルの顔がある。
エルグニヴァルがフと優しい吐息を零した。彼はおもむろに革手袋を食んで外すと、さすような外気に晒されるのも構うそぶりを見せず、そぉっとハノーニアの頬に手を添わせた。
ハノーニアの頬も冷たい。それでも、重なり合ったところからじわじわとお互いの体温が伝わり合い、まじり合い、心地よさを増していく。
ハノーニアとエルグニヴァルのゆっくりとした瞬きさえ、重なった。
「お前は、やはり美しい。あぁ、この美しさを言葉で表し、お前に伝えたい。だのに、どの言葉も足りないのだ。結局は、ただこの一言に込めるしかなくなってしまう…」
頬を撫で、首裏へと回った手によって抱き寄せられて、ハノーニアはエルグニヴァルの胸元へ身を預ける。優しさと強さが両立する力加減で捕まえられて、こみ上げる熱をか細く吐き出した。
「十分です、閣下」
「そうか…だがな、ハノーニア。わたしが十分ではないのだ。すまぬな、こんな我が儘な男で……嫌わないでほしい」
「嫌うだなんて! …申し訳ありません、大声を…。
…ですが、ですが閣下。私は、とても、嬉しいのです。他ならぬ、閣下に。…う、美しいと、言葉にしていただけて…」
ハノーニアは一つ深呼吸した。うずめていた顔を上げ、エルグニヴァルをしっかりと見つめる。
「閣下に、トゥーイに、そう言ってもらえて…とても、とても嬉しいのです。
…その、ご存知かもしれませんが…。…こ、恋をすると、きれいになるのだそうで。ですから、ですから…貴方のお陰です。ありがとうございます、トゥーイ。私の、大事なひと」
気持ちのまま微笑んだハノーニアは、そのままエルグニヴァルから唇を重ねられた。
味なんてあってないようなものであるのに、甘い気がする。何度してもこの不思議な感覚・感触には慣れない。いつか慣れてしまう時が来るのだろうか。安心するような惜しいような…それでも、嫌ではないことだけは確かだ。
「…ハノン」
「は、い」
「…つかぬ事を、聞くが…。……わたしは。わたしは、きれいだろうか…」
ぱちくりと琥珀の目をまばたいてから、ハノーニアは頷いた。とびきりの笑みでもって――
「――はい。とても、とても…きれいですよ、トゥーイ」
実際の朝焼けよりも美しい目を持つ、世界で何よりもきれいな男に。
(21/12/26)