ミステルの領域は不可侵なりて
ヴァイナハテン滑り込み。ゆるっとお楽しみいただければ幸いです
今日も今日とて、ハノーニアは仕事に精を出していた。
ヴァイナハテンである今日も、街も庁舎内も至る所が灯火できらめく中、小銃を担ぎ姿勢よく警備警戒のために巡回する。
「おーい、ハノーニアー」
「勤務中だぞ」
少し離れた向こうから、同期であるオリヴァーとニクラスが歩いていくる。二人とも担当場所は違ったから、きっとここに来るまでの道中で一緒になったのだろう。
朗らかな笑みを浮かべて手を振っていたオリヴァーが、しかし視線を上に向けてギクリと表情をこわばらせた。
「?」
「おまッ、バッッカ! そこで立ち止まんなハノーニア!」
ハノーニアが首を傾げたところで、オリヴァーとニクラスが残りの距離を駆け足で詰めてきた。到着するや否や両側から腕を引っ張られ、ハノーニアは引きずり出されるようにその場から移動する。
「っ、っと。何だいきなり!」
「頭上注意!って言われたの忘れたのかよお前!」
「頭上注意…」
先ほどとは打って変わって厳しい顔つきで人差し指を突き立ててまくしたててくるオリヴァーの言葉を反芻して、ハノーニアは首を巡らせる。先ほどまで自分がいた場所の『頭上』に目を向けて、「…あぁそう言えば」と言葉を漏らした。
「ヤドリギ」
「あぁ」
青々としたヤドリギが飾り付けられ、吊るされていた。
重々しく頷いたニクラスへ向き直ったハノーニアは「うん」と頷く。それを見たオリヴァーの口から大きな溜息が零れた。
「お前…まさかとは思うが、度忘れしてんのか? ヤドリギの下で、」
「キスするんでしょう。知ってる」
前世では全くと言っていいほど関係のなかった習わしであるが、今生ではそうもいかない。至る所とまではいかないが、それでも彼方此方に飾り付けられているヤドリギは人によってはとんでもないトラップだ。
しかし、しかしだ。ハノーニアはふっと笑みを浮かべる。
「性別不明と名高い私に迫るもの好きがいると?」
「物好きねぇ…言うのは勝手だが、そうたかくくってんなよ」
「どこぞの馬鹿が痛い目を見るのは構わん。規律にのっとりしょっ引けばいいだけだ。だが、お前がそうなるのは嫌だ。というのが、俺たちの言い分だ」
「……つまり、心配してくれている…と」
「あぁ」「おう」
揃って強く頷かれてしまえば、ハノーニアも己の言動を改める他なかった。ヘルメットを取って頭を下げる。
「ごめん。ありがとう」
「ん」
「まぁお前が完璧フリーってんならここまで言わねぇけど…。…想う相手がいるってんだ。大事な同期兼友人がないがしろにされるのは御免被るってだけだよ」
「まぁ、黙ってやられるつもりはないけども」
「お前の腕前は知っている。…が、それとこれとはまた別だ」
「ん…ありがとう」
軍人という職に就いていることや中性的に見えるらしい外見から、普段女性的な扱いをされることはまずない。今のやり取りだって友人間のものであり、厳密にはそうとは言えないのかもしれない。それでも、嬉しさに似たあたたかいものがこみ上げてくる。ハノーニアは正直に、その気持ちのまま琥珀色の目を柔らかくほそめてはにかみを零した。
それを見たオリヴァーとニクラスも、柔らかい笑みを返してくれた。
束の間、ヴァイナハテンの寒さの中に温かい笑みが響いた。
「っと、それで…二人揃ってどうしたんだ?」
「おう。ノイゼンヴェール少尉に交代と変更の伝達だ」
オリヴァーから渡された指令書に目を通せば、確かにルートやスケジュールについての変更が記されて。最後にルシフェステル准将のサインがされていた。
「『ヤドリギを徹底的に避けてくるように。どうしても下を通る際は厳重に周囲に注意し、走り抜けて構わん』とのことだ」
「……全力で駆け抜けることにする。その方が簡単だ」
ヘルメットを被り直し、気持ち的に先ほどよりも留め具をしめながらハノーニアは答えた。それに笑って頷いたオリヴァーが、トンとハノーニアの肩を叩く。
「あと、これを。ロンシャールから頼まれた」
「ん…! シュトーレン!」
「持っただけで分かるとは…流石だな」
ニクラスが差し出した紙袋を受け取った途端、ふわりと香ったシナモンの香りに思わず口走ったハノーニアは、むぐぅと唇をはんだ。
「……いいんだ、色気より食い気でも。いいんだ! 私だから!!」
「まぁ、お前がいいなら俺もいいよ。ロンシャールだって嬉しいだろうさ。俺たちにだって、ほら、おこぼれがあったしな」
「夜食にもってこいだ」
本来シュトーレンは、薄めに切ってヴァイナハテンまでの日を数えるようにして少しずつ食べるものだが、そこは体が資本の軍人。一個なんてペロリである。
まだまだ甘いものが希少だったり高級品だったりする今生。なので、本当は味わって食べるべきなのだろうが、おいしいものはおいしい。食べたいものは食べたいし、食べられるときに食べておくのが一番である。
「大事に食べる。じゃあ、交代よろしく頼む」
「おう。任された」
「そっちも頼んだ。ノイゼンヴェール少尉」
ハノーニアは、オリヴァーとニクラス二人とキリッと敬礼し合う。ただし三人共シナモンの香ばしい香りをまとっているので、しまっているかと聞かれれば微妙なところではあるが。
それはさておき。
ハノーニアは指令書に記された場所へと急ぐ。伝言通りヤドリギの下は可能な限り避けて。どうしても避けられない場合は、駆け足の速度を一段も二段も上げて――念のため魔力強化した速度でもって駆け抜けた。
ヴァイナハテンであっても、街中とは違って庁舎の中は物静かだ。勿論無人ではないけれど、それでも人の気配は普段よりもぐっと少ない。降り注ぐ月の光を反射して、先に降り積もった雪が眩しい気がする。窓の外の冷たく白い光に目を細めながら通路を駆け抜けて、ハノーニアは指令書の場所へ到着する。
両脇に衛兵が佇む重厚な扉の前にはシジルゼート少将が待っていた。敬礼して指令書を見せたハノーニアは内心「!? !!?」となりながらも、シジルゼートの返答を待った。
指令書を確認したシジルゼートは、にっこりと、それはそれは人好きのする笑みを浮かべてみせた。見るものによってはときめき待ったなしだろう笑みは、しかしハノーニアにとってはすくみ上るものだ。反射的に引きそうになった足をグッと力を入れて耐えながら、ハノーニアは姿勢を保つ。
「お待ちしておりました。さあ閣下がお待ちです」
普段の上官と部下のものとは違う言葉遣いに、ハノーニアは内心で叫び声をあげる。恐れ多さと嬉しさと、その他よく分からない感情から迸る悲鳴を間違っても零さないように唇を引き結んで、ハノーニアはシジルゼートの案内に従って入室した。
暖炉が焚かれた室内は程よくあたたかかった。外よりはマシであるが、廊下と言えど石造りで冷える。そんな場所から移動したハノーニアの脳裏を『ヒートショック』なんて前世の言葉が過ったけれど、そんなものは一瞬で霧散する。
部屋の奥。赤のビロードがピンと張られた長椅子で待つエルグニヴァルの姿を目にしたからだ。
「ハノーニア」
「は、い。ハノーニア・ノイゼンヴェール少尉、参上いたしました」
秋空の目を柔らかく細めたエルグニヴァルが、両手を差し伸べてきた。
「おいで。もっと近くへ」
「はい。只今」
長椅子の傍には銀のワゴンが用意されていた。軽食も飲み物も揃っている。
足を進める中、あぁ折角お会いできたのに軍服だ、とか。職務中だ、とか。そんなことがハノーニアの頭の中に浮かぶ。だがしかし。
「すまぬ。仕事中に呼び出してしまった。…だが、会いたかったのだ」
「閣下…はい、閣下。小官…いえ、私も…お会いしたかったです」
差し伸べられた手に、手を重ねる。途端、様々な考えは嬉しさにはじき出されてしまうのだから。どうしようもない。
隣に座るよう促されて、ハノーニアは従う。
ドレスでもなければ、スーツでもない。華やかさはあるようでない。でも、それでも良かった。想う相手の傍にいられること。ただそれだけのことが、堪らなく世界を色づかせる。
「ありがとう。とても、とても嬉しく思う」
「私こそ…」
柔らかく微笑むエルグニヴァルに頷き返す。そんなハノーニアの視界の端に、エルグニヴァルの私邸でも世話になっている執事がグラスにシャンパンを注いでいくのが映った。
準備を終えた執事が脇へと下がっていく。エルグニヴァルがグラスを取ろうとして、しかし動かした手を止めた。
「閣下?」
「…いや。まさか、自分がこうも我慢が効かない性質だとは…。
ハノーニア。わたしを、どうか嫌わないでほしい」
「へ?」
向き直ったエルグニヴァルに微苦笑でもってそう言われたハノーニアは、思わず間抜けな声が出てしまった。むっと唇をいつもの癖ではんでしまえば、エルグニヴァルの手がそぉっと伸ばされて、輪郭に沿って頬に這わされる。
「ハノーニア、よいかな? キスを、贈っても」
手つき同様そぉっと囁くようにエルグニヴァルから問われて、ハノーニアは一度強く瞬きをする。そうして、一つ頷いた。
一呼吸程置いて、エルグニヴァルの顔が迫ってくる。端正な顔立ちはやはりどこか作り物めいた美しさで恐ろしさも感じるが、目元や口の端に淡いしわを見付けて、そこに生き物らしい柔らかさを感じてどこかホッとする。
吐息と髪の先、それからまつ毛、それらが肌にふれてくすぐったい。
目をつむってすぐ。唇同士が触れ合う。呼吸とあたたかさと柔らかい肉を何度も食み合った。
「ぅ、ぁ…」
「ふ、ふふ」
まざり合った熱でくらむ。導かれるままエルグニヴァルの首元に顔をうずめたハノーニアは、息を整えながら口を開いた。
「…か、かっか…」
「あぁ。どうした、ハノーニア」
少しの揺らぎも見当たらない――しかし、どこか嬉しそうに聞こえる――エルグニヴァルの返事に、これが経験値の差か?なんてずれたとこを思いつつ、ハノーニアはおもむろに伸ばした手で一点を指し示しながら言葉を続ける。
「あ、あのですね…一粒、摘んでも、よろしいでしょうか?」
「あぁ、いいぞ。そのために用意したのだ。…それで、それはわたしに、くれるのかな?」
頬を擦り寄せてきたエルグニヴァルに笑みを零しながら、ハノーニアは長椅子の後ろ――そこに吊り下げられている見事なヤドリギの飾りから白に輝く実を一粒、大事に摘み取る。
「勿論です。閣下…いいえ、トゥーイ。貴方に…貴方にだけ、あげます。…受け取って、くれますか?」
「勿論」
ハノーニアは、エルグニヴァルの手のひらにそぉっとヤドリギの白い実を置いた。
照明を受けて柔らかく煌くそれは、丸い見た目もあって真珠のようにみえた。ハノーニアはふふっと笑いを零す。
「どうした?」
「いいえ。ただの実ですけれど、でも今はまるで真珠のように見えて…。
貴方と…トゥーイと一緒ですと、色んなものが宝物になるなぁ…と、」
改めて思って、と続くはずだったハノーニアの言葉は、唇ごとエルグニヴァルに食べられた。
たっぷりと味わい尽くされたあと、ようやくはなされたハノーニアは息も絶え絶えになりながら、必死に焦点を合わせてエルグニヴァルを見つめる。
「お前が一番の宝物だ。わたしの琥珀」
そう言うエルグニヴァルこそ、宝物だと。うまく回らない頭で、ハノーニアは思うのだった。
(21/12/25)
多分きっとこの後一緒にシュトーレンも食べる。ごちそうさまです