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かわいい欠点(シジルゼート)


「――して。あの娘は、エルグニヴァルの弱点たり得るか。貴様はどう見る?」


 挨拶を交わすこともなければ、前置きもない。

 相変わらずだなと思いながら、シジルゼートは円卓を挟んで向かいに座る男へ、人好きのする微笑みを浮かべたまま小さく肩を竦めてみせた。


「小官にはどうとも…。これといった進展もありませんので。閣下はお忙しい身でありますし。あの娘もまた、魔導師として日夜身を粉にして勤しんでおります。未だ、一夜を共にしたこともありません…とは、以前よりご報告申し上げておりますでしょう」

「あぁ。それについては、貴様以外からも同様の報告を受けている」

「そうでしょうとも。用心深さはご健在で、父上」


 男の、シジルゼートとそっくりな緑青の目がほんの僅か細められる。

 シジルゼートは口の端をもう少しだけ持ち上げた。


「……引き続き、監視を続行しろ。報告を怠るな」

「ハッ。御意のままに」


 手で払われて、シジルゼートは退室する。

 執事によって屋敷の外まで見送られ、待たせていた車に乗り込む。行き先を告げなくとも、優秀な従卒が淀みなく車を走らせていった。

 夜も程よく深まった今の時間。街灯に照らされた往来は当然静かだ。そんな外をなんとなしに眺めるシジルゼートは、先ほどのシジルゼート家当主()とのやり取りを思い出し、こみ上げてくるわらいを必死に奥歯で噛み殺す。

 それでも、殺しきれなかったおかしさが口の端から零れ落ちていく。


(…弱点、なぁ…)


 なるほど、壺にはまるというのはこういう事か。そう思うシジルゼートの唇の隙間から、とうとう微かに笑い声が漏れた。


「…ご機嫌でございますね、少将閣下」

「あぁ、つい、な。当主との歓談が思った以上に弾んでしまった。思い出し笑いをしてしまうくらいには…」

「それは…何よりでございます」


 目的地に着くまで、終始シジルゼートは笑みが絶えなかった。

 大きく高いアイアンの門扉を通され、乗降場に着けられた車から降り、この邸宅の執事によって主人の元へ案内されてもなお。否、主人を目の前にした今こそ、その笑みは溢れんばかりになっていた。

 原因理由は、分かっている。当主との談笑だけではない。むしろ、既にそれらは些事としてシジルゼートの頭の片隅へと蹴飛ばされている。


「……今すぐ、その気色悪い笑みをやめるか。それとも去るか。決めろ」

「申し訳ございません、閣下。どうかお許しください。

 なにぶん、シジルゼート家当主が、堪らなく、おかしいことをおっしゃいましたので。つい」


 深々と頭を下げたシジルゼートが姿勢を戻せば、エルグニヴァルの視線はすでに外れていた。元より、興味関心とてないに等しかっただろう。何せ、その腕の中には『琥珀』がいるのだから。


「…あぁ、よく眠っておいでですね」


 足音と気配を可能な限り忍ばせて近付いたシジルゼートは、ソファーの上――エルグニヴァルの太ももに頭を預けて眠る『琥珀』をそぉっと覗き込む。勿論、適切な距離をあけてだ。此方を睥睨するエルグニヴァルも勿論だが、すぅすぅと微かな寝息を立てながら休む『琥珀』が恐ろしいからでもある。

 距離をもう一歩程あけて、シジルゼートはそっと息を漏らす。だいぶ懐かれたと自負はあるが、今回も首は無事であるとついひと擦りしてしまう。


「その程度であるならば、近付くな。貴様は、何度言ってもきかぬ奴だ」

「申し訳ございません、閣下」


 エルグニヴァルは一瞥をくれることなく、『琥珀』の明るい灰髪をすくように撫でている。その手つきは丁寧過ぎて、そのこともまた、シジルゼートの笑みを誘う。


「……独り言でございますが。

 …当主は、その『琥珀』が閣下の弱点たり得るか、と…」


 エルグニヴァルは頷きすらしない。眠る『琥珀』の弛緩した片手に自分の手を重ね、指と指をなんとか絡めようと忙しいようだ。

 シジルゼートはこみ上げる笑いを、手のひらで口元を押さえることで辛うじて抑えた。その鍛え抜かれた体を緩くくの字に曲げて必死に耐えながら、思う。


(あぁ! あぁ!! 嗚呼!! これが、これのどこが、弱点だというのかっ!!)


 一歩、二歩と後退りしながら、心の中で叫ぶ。


(これの! どこが!! 弱点だ!!

 化け物を、完全無欠の怪物を、人にまで引きずり下ろした…汚点だ、欠点だ)


 間接照明の灯りと影の境目まで下がって細く息を吐いたシジルゼートの緑青の目は、魔力光できらめいている。


「貴様が、わたしよりも長く生きれば…。…いや、やはりまだ、決断は出来んな…」

「…閣下」


 エルグニヴァルの秋空色の目が、シジルゼートを見る。


「これは若い。わたしよりも、分枝よりも、貴様よりも。順であるというのなら、わたしよりも生きるはずだ。…それがいい。いい、と思っている。

 だがしかし。

 わたしが死んだ後、その一呼吸後にはもう、これの息も絶えてほしい。そうとも思うのだ。

 これは、異常か」

「……申し訳ございません、閣下。小官には、分かりかねます」


 エルグニヴァルの顔に表情はない。シジルゼートのみならず、誰も彼もが見慣れた顔だ。それが、エルグニヴァルの常であり普通――だった。

 その普通を壊したのは、他ならぬ『琥珀』だろう。

 そんな『琥珀』が、シジルゼートはかわいくて仕方がない。魅入られたと言われようが、構わない。恐らくそれは、間違ってはいないのだから。

 無欠の存在にきずが、欠点があらわれていく。人に成り下がっていく様を、こんな間近で見ることができる。もしかすると手が届くかもしれない、なんて。そんな夢想すら出来るのだ。最高以外の、いったい何であるだろうか。


「ぅ」

「「!」」


 『琥珀』が微かに身じろいだ。体位を僅かに変えただけで、まだ起きる気配はない。

 呑気に眠りこけるこの娘が、帝国総統の一番のお気に入りで、且つ『宵の薄明』を覚醒させた魔導師なんて。一体誰が思うだろう。その一挙一動、瞬き一つ、一本の指先にまで観察注目し、こうして反応する者たちがいるなんて。きっと本人の自覚はかなり薄い。それが玉に瑕であり、同時にらしいと微笑んでしまうのだから。


「っ、ふ…。失礼いたしました。

 いえ、惚れた方が負け…など。先人の言葉は確かである、と。改めて思った次第であります」

「フン…。…化け物怪物に嫁いだ娘が、喰い殺されるなどしてことごとく非業の最期を遂げるというのも、なるほど。確かであろう。

 …なぁ、かわいそうで、かわいい、わたしのハノーニア…」


 そう言うエルグニヴァルの、触れる手つきはやはり丁寧過ぎている。

 秋空色の眼差しが柔らかいような気がするのは、果たして自分の妄想なのだろうか。そんな思いを、シジルゼートはせり上がってきた感情と共に奥深くへ呑み込んだ。



(21/11/14)

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