4ー①
青空に雲が浮いている。
窓から見える外の風景はとても穏やかだけど、僕は、自室で一人、唸っていた。
つい先ほどの醜態が、まるで遅効性の毒だとでもと言わんばかりに、僕の心を羞恥と後悔で蝕んでいく。
全くもって本当になぜあんなことをしてしまったのか。
今日何度目だろうか、まだほんの一時間ほどしか経っていないのに、僕は後悔のしっぱなしである。
何が、好きだ、好きだ、愛しているだ。
またあの光景を思い出し、発作的に枕を顔に押しつけて、全力で叫ぶ。
恥ずかしさ半分、後悔半分の声にならない声。
いつもと変わらない、週末の昼下がりだったはずなのに、あろうことか、勢いとはいえ、僕はアイツに告白してしまったのだ。
確かに好きだ。昔から好きで好きでたまらない。あの顔も声も性格もすべて好きだ。嫌いなところなんて一つも無い。いわゆるベタ惚れなのは否定しない。
あぁ、出来れば時間を戻して欲しい。そして、何事もない日常を取り戻したい。過ぎたことを悔やんでも詮無きことだとは理解している。
だけど、今じゃないだろう。
そもそも、アイツには好きな人がいる。しかも、二日後に告白するという決意を固めた矢先である。
それなのに、自らの告白前に、好きでもないヤツに突然告白されたのだ。
ようやく覚悟を決めたばかりというのに、なぜ今そんなことを言うのかと、彼女にとって迷惑以外の何物でも無いはずなのに。というか、場合によっては恐怖を感じるレベルかもしれない。
思い出したくもない惨劇の記憶。
ジタバタと気が狂ったようにベッドの上を転がってしまう。つい一時間前のことだったが、すぐにでも忘れてしまいたい。
実際、突然の告白にアイツもそうとう動揺したようで、結論から言うと、彼女は何も答えてはくれなかった。
自分自身、告白してすぐは、やり遂げた充足感で不思議と笑みがこぼれたが、当の彼女はというと、ふいに僕の胸に顔を埋めてきた。
まったく興味の無い相手からとはいえ、告白という大事だ。
返答の可否はともかく意地っ張りな彼女の事だから、気恥ずかしさを隠したかったのだろう。
正直、告白という興奮状態で、彼女の体温を体中で感じた時は心臓が爆発するかと思った。
だけど、それは勘違いなのだと即座に自分に言い聞かせ、少しだけ涙が出そうになった。
だって、彼女の好きな人は僕ではないのだから。
だからその後、彼女が真っ赤な顔を上げて、僕をにらみつけてきたのはきっと
『この大切なときに、空気読めないこと言っちゃってバカじゃないの?』
という意味だろうし、二度三度視線を泳がせた後、少し顔を上げ、お互いの鼻先が当たりそうな距離で、まぶたを閉じて動かなくなったのは、
『アタシが目をつぶってる間に、消えなさい』
ということだろう。
申し訳ないことに、彼女のきれいな前髪が、さらりと桃色の頬へと流れ落ちる様にドキリと胸が高鳴ってしまう。でも、固く結んだ唇が少し震えている様子に、よほど怒り心頭なのだと見て取れた。
だから僕は、思わず抱きしめようと中空を漂う両手に『ダメだ』と喝を入れ、邪な思いを振り切るようゆっくりと彼女を引き剥がした。
「すまん、突然こんなこと言っても困るよな。……ほんと、ごめん」
すぐに謝ったのだけど、時すでに遅し。しかもどうやらこれが火に油を注いだ用で。
彼女は、瞳をまん丸とさせ一瞬のフリーズ。そして、
「~~~っ!! ばかぁっ!!! 」
大噴火した。
僕を力任せに突き飛ばし、目を三角にして大激怒。久しぶりにみた表情に僕はもはや何も言えなくて。
「あぁそうよね! アンタはそういうヤツだったわ!! なによ!! 覚悟を決めたアタシがバカみたいじゃない!!! 」
押された勢いで背後のベッドに転がったまま、僕はただ黙って彼女の話を聞くしかなくて。
「もう! もう!! ほんとにもう!!! 」
よっぽど頭にきたのだろう、最後あたりは言葉にすらなっておらず、彼女の手はパーカーの裾を握ったままブルブルと震えていた。
気がつくと僕はベッドの上で正座をし、彼女は大きく肩で息をしながら、
「……ばか」
ついには大粒の涙をこぼすもんだから、――僕は、本当にとんでもないことをしたのだと思い知らされた。
勢いとはいえ、やっぱりこのタイミングで言うべきでなかったのだ。
告白は、それにいくまでの課程でとてつもない覚悟と熱量がいるのだ。僕は身をもって経験したから知っている。
今日言うぞ。が明日になり、来週になり、来月になる。
あのさ。と、覚悟を決めた声が、なぁに? という笑顔に塗りつぶされるのだ。
きっと目の前の彼女も、今までその連続を経験してきたのかもしれない。
僕の知らないところで、知らない誰かに何度も勇気を振り絞ったのかもしれない。
あぁ、そうか。
自分のしでかしたことの重大さが、胸の痛みと共に僕に重くのしかかる。
きっと僕は彼女の頑張りに水を差したのだ。
僕の目を見据えたまま、彼女は何か言いたそうに言葉を探しているようだけど、感情が昂ぶっているのだろう。顔だけがますます赤くなり、うまく言葉にならないようだ。
だから、僕は謝ることしか出来なくて。
「ごめん」
本当に申し訳ないことをした。心からそう思う。お前を泣かせるヤツはクソだなんてよく言えたもんだと自分自身をぶん殴りたくなる。
そのとき僕は、心に亀裂が入る音を聞いた。彼女との関係性が壊れたことを、ようやく理解したからかもしれない。
取り返しのつかないことは、やってから気がつくものなのか。クシャクシャになった心はもはや瀕死の重傷。ほんの少しのかすり傷で絶命するかもしれない。
「ほんとに、ごめん」
僕は、大切な彼女を自分から遠ざけてしまったのだ。でも、
「でも、僕は本当におまえの事が好きだから」
この気持ちだけはまっすぐに伝えたい。
ただただ真剣に、アイツの目を見て僕は言った。
彼女は息の詰まるような声を上げたが、どうしてもこれだけは譲れない。最後まで聞いてもらいたい。
これはきっと最後の悪あがき。精も根も尽き果てる、そんな間際の悪あがき。
だけど、だからこそ知ってもらいたいと思うのは、僕のわがままか。
「本当に、本当に大好きだから」
そこにひとつもウソはない。でもきっと今日の僕は情けなさが振り切っていることだろう。
たぶんまた、どうしようもないほどに泣きそうな顔をしているに違いないのだから。
「――っ!」
突然、彼女は苦しそうに胸を押さえて蹈鞴を踏んだ。まるで何かに心臓あたりを射抜かれたような動きだった。
力なく残った手を前に突き出し、ヨロリと数歩後退すると、
「もうムリ、やめて、限界……」
ぼそりと言葉をこぼした。
そして、夕日にも負けない顔色で、
「そういうとこよっ!! ばかぁっ!!! 」
その一言を残すと、踵を返す勢いのままローテーブルに脛をぶつけ
「痛っ! もう!! なんなのよもう!!! 」
ドタバタと部屋を飛び出していった。
ケンカしたの? という母親の声の後、アイツの上ずった『おじゃましましたぁ』を聞きながら、僕はやっちまったと呟きながら、ゆっくりベッドに身体を預けた。