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33/42

20ー①a

 



 ――手が震えてしまう。


 人通りの少ない特別棟の一番上。今日も、屋上へと続く階段の踊り場は日当たりが良い。扉にはめ込まれた大きな磨りガラスからは光が差し、唯一の小窓からは心地の良いが吹いてくる。

 そんな、清潔に掃除が行き届いた場所で、アタシは今――困ったことになっていた。

 朝の根回しが上手くいったのか、全ては先輩のおかげだろうけど、今この場所には、例の彼氏さんはおらず、アイツとアタシのただ二人きり。

 並んで、よいしょと、色違いのクッションにお尻を下ろしたまではよかったのだけど、アイツからなんともなしにランチバッグを受け取ったとき、ほんの少しお互いの手が触れた。


 「……どうした?」


 「べつに」


 突然、心臓が跳ねたのだ。

 ふと、バッグを取り落とそうとしたもんだから、慌てて彼が支えてくれたんだけど、どうしたのだろう。涼しい顔をしてはみたけれど、バクバクと鼓動が大きくなっていく。本当に、理由がわからない。

 さっきまでは、お昼を誘ってくれたアイツに胸がときめいていたのだけど、いざ、この場に着くと、急に胸の鼓動が意味合いを変えてしまった。

 手がわずかに震え、妙に力を入れづらい。

 そして、彼の顔を見るたびに、息が詰まる。

 どうしよう。こんなに良い天気なのに、待ちに待った二人きりなのに、ただ一緒にお昼ご飯が食べたかっただけなのに。

 不思議と、気が急いてしまう。

 立て直そうと試みるけれど、ダメだ。焦る気持ちが足を引っ張って、上手くバッグが開かない。

 そもそも、この感情は何なの? 急にどうしたっていうのよ。何を焦っているの。今の今までなんともなかったじゃないの。


 「あれ? おかしいわね。チャックが壊れてんのかなぁ。えへ、えへへ……」


 アイツに悟られないように、隠すように、可能な限りアタシは平静を装って、バッグのジッパーに指をかける。

 イヤな音が鳴り、その都度、指が滑った。

 アイツは、苦笑いというか、またコイツは何やってんだとでも思っているんでしょうね。少し困った顔をしていたんだけど、


 「――貸して」


 アタシの手の甲に重ねるよう、自分の手のひらを置くと、優しい声色で、こう言ったの。


 「大丈夫だよ」


 まだ放課後まで時間はある。そう、続く言葉のあと、いつもみたいに優しく笑ってくれたの。


 「心配するなって、きっと成功するから」


 じんわりと伝わる手の温もりに、……もう。もう。もう。

 アタシは、そこでようやく自分がガチガチに緊張している事に気がついた。

 彼は造作もなく、ランチバッグを開けていく。なんでそんなに簡単に開くのよ。イヤになっちゃうわ。さっきまで、うんともすんとも全然動かなかったじゃない。

 並べて良いか。って彼が笑うから、アタシはただ頷くことしか出来なくて。


 「へへ、当たった。おにぎりだ」


 罰ゲームの件はちょっとだけ残念だけど、やった。喜んでくれた。アタシは、いつの間にか彼に身体を預け、そして彼の制服の裾をつまんでいた。


 「三角と丸がある」


 中の具が違うのか? 彼はこちらに視線を向けるけど、その問いかけに、アタシは上手く答えることが出来ない。ただただ、唇を尖らせてうつむくだけ。

 その大きなお弁当箱には、アイツの言ったとおり、三角と丸の二種類のおにぎりが入っていて。ううん、違うわね。中身は同じだもの。二種類じゃなくて、片一方がヘタクソなだけ。

 もうずいぶん前から、コイツのおにぎり好きは知ってはいたけれど、

 力加減?

 握り方?

 アタシはどうにもこうにもヘタクソのヘッポッコで。彼の好みを知ったその日から今まで、どうしても――


 「――丸い方だろ。お前が作ったの」


 またもや、心臓が跳ねた。

 

 「……ちがうもん」


 こともなげに言い当てるもんだから、口から出た言い訳は、力なく辺りに溶けていく。


 「そりゃ失礼しました」


 そうか、今まで何度も彼には食べて貰っている。今更、どう取り繕っても無理な話。

 お手本のような三角おにぎりは妹の作ったほう。あの子なりに一生懸命作っていたのは、今朝、隣にいたからわかる。それに、どうせ食べるのなら、形の良い方が好ましいに決まっている。


 「キレイなほう、食べてよ」


 なんて、せっかくアタシがそう言ってるのにね。……でも、コイツったらちっとも言うことを聞かないの。


 「好きなほうを食べるさ」


 そう言って不格好な野球ボールみたいな方を食べるんだもん。アタシはもう無理よ、見てられない。空いたほうの彼の腕に手を回してそのまま肩へと顔を埋めた。


 ――今日の放課後、アタシはコイツに告白する。


 ずっとずっと好きだったコイツに、アタシの気持ちを全部ぶつける。

 もう、恥ずかしいとかなんだとか、そんなの関係ないわ。遅すぎるくらいだもん、本当は、この前の日曜に返事をすれば良かったのに。今度こそは、今日こそは、絶対に彼へ想いを告げると心に決めたのだから。

 だからかな。自分ではよくわからなかったけど、きっとさっきの緊張は、浮き足だった心が少し冷静になったから、途端に放課後のプレッシャーが押し寄せてきたのだろう。

 多分、もう一人のアタシが、楽な方に逃げ続けたアタシに、問いかけているんだ。

 本当に、出来るのか。大丈夫なのか。失敗は許されないぞ。後がない。そして、


 「……嫌われたくない」



 ――口からこぼれた言葉に、はっと我に返った時にはもう、すでに遅し。がばりと上げた顔の先には、アイツの顔があって。


 彼も、少しだけ身構えたような雰囲気だったから、それにつられたのかな。


 「あ、その、違うの、ううん、違わないの」


 ここに来て、また臆病なアタシが顔を出してしまった。

 ほんのついさっきまで、完璧に心の準備は出来ていたはずなのに、土壇場になると、あと一歩、まだ踏ん切りがついていないと言わんばかりに怖じ気づいてしまった。自分でも、今、口から出ている言葉が何を言っているのかわからない。

 あわあわと、今のアタシは訳わからないことを言っていないだろうか、また可愛くないことを言っていないだろうか。顔は熱いけど、背筋が凍る、そんな希有な体験を今まさに経験していた。

 そんな軽いパニック状態のアタシを前に、


 「……だな。嫌われるのはイヤだもんな」


 彼は、一時、何か言いたそうな顔を見せていたけれど、ぷいっと遠くに目を向けて、おにぎりを一囓り。

 でも、


 「ねぇ、どうしたの?」


 ――胸が、小さく痛んだ。そして、同時に、寒気がした。


 やめてよ。こんなときに、ホントにやめて。

 我慢できるわけがない。

 その顔が、アタシの嫌いな表情をしていたから、アタシは何があっても聞くしかない。……だって、今、なんで、アンタはそんな顔をするのよ。

 静寂が、辺りを支配していく。

 彼は、何も答えてくれない。それどころか、こっちを見ようともしない。ただ、ゆっくりと、かみしめるようにその不格好なおにぎりをお腹におさめていく。

 ねぇ、どうしてこっちを見てくれないの。どうして、何も言ってくれないの。ねぇ、どうして、――どうしてアンタは、そんな泣きそうな顔で、笑うの。


 「何とか言っ――」


 アタシは、きっとこれから先、十年経とうと二十年経とうと、彼の言ったこの言葉を忘れない。いや、忘れることなんてできるはずがない。

 だってそれは、アタシが恐れ続けた言葉の一つ。絶対にアタシからは言わない、そんな呪いのような一言だったのだから。


 「――もう、僕とは仲良くしない方が良い」


 「……え?」


 アタシは、文字通り頭の中が真っ白になった。

 同時に、ガツン! と、スゴい力で頭を殴りつけられたような衝撃に、目眩がする。


 「ただの幼馴染みでいよう」


 ――アタシは、抱いた彼の腕を、再度、力一杯抱きしめる。震える。身体が震える。そして、心の震えが止まらない。


 ……ただの。ただのって何? 


 目眩が強くなり、耳鳴りがする。アタシには今、自分でもわかるほどのストレスが襲いかかってきていた。

 やめて。待って。言わないで。アタシはそれを聞きたくないのに。

 怖かった。本当に怖かった。その言葉を言われるのが、小さな頃からずっと、ずっと怖かった。

 冗談よね。そうよ、幻聴よ。アタシは、振り払うように、彼の顔を見つめ続け、


 「――仲が良すぎたんだよ。だから僕は……」


 イヤだ。やだ。いや!

 理屈じゃない。身体が、まるで、彼を離してなるものかと、そう言っているかのようだった。


 「なんで、なんで、そんなこというの……」


 血の気が引くのは、過去何度か経験があったけど、これはあのときと一緒だ。


 ――彼に『キライ』と言われたときの、あの小学生の時のトラウマ。


 頭が痛い、喉が渇く。


 ……本当に心をケガすると、アタシは、涙すら出ない。


 もう、無我夢中だった。


 「あ、アタシのダメなとこは言って! 全部なおすから! もうワガママも言わない! 困らせない! 言うことは何でも聞くわ! ……そうか、そうよね。に、日曜日の事でしょ? 謝ってなかったもんね……」


 きっと、今のアタシは、無様で不格好で、そして、彼にしてみれば本当にウザったらしい迷惑な女でしょうね。

 声も身体も、みっともないくらいに震えていて、ただただ、彼の腕にしがみつき、彼に問うことしか出来ない。


 「別に、なおすところはないし、謝ることもないよ」


 でも、それでも彼は、泣きそうな顔で笑うのをやめないの。

 なんでよ。悪いところは言ってよ。イヤなところも教えてよ。怒ってよ。叱ってよ。だって、そうしなきゃ、ダメ。そうしてもらわないと、アタシはアンタに、


 「……ごめん、ごめんなさい。いままでずっと、ごめんなさい……。だから、だから」


 だから、


 「キライにならないで、ください……」


 ほとんど聞き取れない声で賢明に喚いてみたものの、最後は、もう彼の顔すらも見れなくなって。

 ひんやりした風に、ぶるりと身体が冷える。

 自分の感情に精一杯で、彼が今どんな顔をしているのかはわからない。どういうつもりで、どんな感情で、その言葉を言ったかは、今のアタシには、わからない。


 「キライになんてなるもんか」


 でも、確かに彼はそう言った。妙にきっぱりと、その声にウソはなかった。

 じゃぁ、どうして。

 なおのこと、もうアタシには何が何だかわからない。怖くて顔も上げれないし、彼の言葉の意図するところも、自分の感情も、何もかも、頭の中はごちゃごちゃになっていくばかりで。

 何度も、好きって言ってくれたじゃない。愛してるって、ずっとずっと好きだって、そう言ってくれたじゃない。


 ……それなのに、なんで。


 アタシは、それ以上何も聞けない。一気に雪崩のように物事が押し寄せたもんだから、アタシの中の許容量を軽く超えてしまっている。もはや今、自分が何をしていてどこにいるのかもわからない。

 わかるのは、今また、彼の手がアタシの頭に置かれ、慰めるように優しく撫でてくれている。

 小さいときから、彼が謝るかわりにしてくれる、アタシの好きなものの一つ。でも、今は、今だけは、やめて。

 まったく、理解できてないのに。

 全然、整理できないのに。

 これっぽっちも、納得できてないのに。

 それなのに、ずっとずっと好きな彼に、本当に好きで好きでたまらない彼に、このタイミングで、こんなに優しくされたら、アタシはもう――

 別に、マンガやアニメのように、小さな頃、結婚しようねと誓い合ったわけではない。もちろん、アタシから、お嫁さんにしてねと頼んだこともない。アイツから嫁にしてやると言われた記憶もないけれど、ただ、隣に住んでいて、小さな頃から何をするにもずっと一緒で、同じことで笑い、泣いて、数え切れないくらいケンカして、そして同じくらい仲直りして、そして、……


 「僕とお前は、恋人じゃない。ただの幼馴染みなんだからさ……」


 ふいな彼の言葉に、頭の中が、薄荷をなめたように、透き通った。

 不思議と、納得してしまった。ストンと小気味よく、アタシの心が受け入れてしまったかのようだった。

 そうか、アタシ達って、別に特別じゃなかったんだ。どこにでもいる、あたり前のふたり。


 ……ううん、違うわ。違うわよ。違うじゃない。


 とてもとても、本当に特別だったのに、どこかの誰かさんがすぐに返事をしなかったせいで――終わってしまったのか。

 アタシは今、何か、胸の奥で亀裂の入る音が聞こえたように思う。

 全身をものすごい倦怠感が襲う。なんだ、全部、アタシのせいじゃん。せっかく欲しかったものが手に入る瞬間に、自分自身で捨ててしまっていたのか。

 彼は、頑張ったんだ。きっと、アタシなんかよりもいっぱい考えて、大切に、大事にしてきたものを、精一杯、ぶつけたんだ。

 でも、それをアタシが、受け止めなかったから。自分本位で考えて、自己中心的に振る舞ったから、あぁ、そうか。そうなのか。結局は、アタシの自業自得。これは誰のせいでもない。八つ当たりの矛先すらない。

 妹があれだけ怒ったのも当然だ。彼をバカにするなって、言われて当然だ。

 遅かっただの、捨ててしまっただの、あの日曜まではだの――言い訳だけがアタシの中で駆け回る。

 でも、もう遅い。

 彼がさっきのあの言葉を発したときに、全てはキレイに終わったのか。

 悔しくないと言えばウソになる。未練がないかと言えばあるに決まっている。

 でもそれは、全て自分の日頃の行いなのだから、もう、言い訳できそうにない。

 今、心の中にいる、冷静なもう一人のアタシが、ゆっくりと首を横に振ったような気がした。

 静寂を振り払うように、アタシの口は、細々と言葉を紡いでいく。


 「……小学生の時は、いっぱい遊んだね」


 「あぁ」


 「毎日、顔が見えなくなるまでいろんなところを走り回ったよね」


 「もっと早く帰って来いって、散々叱られたな」


「初めて二人だけで出かけたのは、中学生の時だっけ」


 「……映画、観に行ったよな」


 「あんまり面白くなかったよね」


 「うん。あのあとレンタルショップでお互いのオススメ借りて、僕の部屋で朝まで観たっけ」


 「ケンカもいっぱいしたわ」


 「あぁ、まだ謝ってないこともたくさんある」


 「……アタシも」


 「毎日楽しかったのは、きっとお前がいたからだ」


 「うん。そうだね。アタシも、そう思う」


 ――言わないで。次のアタシの言葉には何も答えないで。お願いよ。最後のお願い。もう、アタシ、多分、感情を抑えきれなくなってしまうだろうから。


 誰もいない階段の踊り場が、まさかこんな場面に使われるとは、アタシ自身、思いもしなかった。

 アイツの顔はまだ見れそうにない。だって、


 「……もう」


 答えは、アンタの中で、すでに出てるんでしょう。


 「アタシ達、さよならなの? 」


 ……彼は、何も言わなかった。


 でも、あぁ、そうか。

 アタシの唇は震えながらも、口角を上げた。

 そうよね。そうなんだ。――ずっとずっと、好きです。アナタより好きになる人は、この先、ずっといないと思います。本当に本当に好きです。でも、いま、ようやく、アタシの中でも、初恋は終わったんだ。

 ぽっかりと胸に大穴が空いたみたい。かろうじて持っていた最後の暖かい何かが、今まさに零れ落ちたように思う。

 でも最後だけは、ワガママ言わない方が良いよね。アンタを困らせて好き勝手に振り回した結果が、今なのだから。

 アタシの意思とは無関係に、彼の腕を抱く力が入っていく。離したくない。何があっても離したくない。でも、彼が、困るのなら、最後くらいは、キレイに終わるべき。身が引き裂かれる思いとは今の時のような言葉だろうか。

 どうしてかな。

 こんなときなのに、彼とのケンカした思い出ばかりがよみがえる。

 もっと、嬉しかったことか、楽しかったこととか、そういうのを思い出せば良いのに。

 なんて、わかっているクセに。アタシはつくづくダメなヤツだ。


 ――アナタが叱ってくれたとき、アタシを思って叱ってくれていました。


 ――アナタが怒ったとき、アタシのかわりに怒ってくれていました。


 ――アナタが泣いたとき、アタシの為に泣いてくれました。


 嬉しかったです。毎日が、今思うと宝物だった。だけど、悲しいけど、悔しいけど、くじけそうだけど、――明日からはただの幼馴染みです。

 好きです。ずっと好きです。アナタを愛しく思います。でも、それでも、アタシは、アナタがそう願うのなら、従います。だって、最後は、最後くらいは、アイツは良いヤツだったなと、そう思って欲しいから。


 「……」


 今までの彼との思い出を破り捨てるように、アタシは、ゆっくりと、その腕を手放した。

 すぐ近くで、彼が歯を食いしばる、そんなイヤな音が聞こえ、どれくらい経っただろう。


 「だって、」


 やがて、小さな溜息のように、


 「だってさ、」


 アイツは声を漏らした。


 「――相手に悪いだろ。僕なんかと仲良くしていたら」






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― 新着の感想 ―
[一言] ようやく相手が(想い人を)勘違いしてたって気付くのかな? 早く誤解を解いてイチャイチャするといいよw
[一言] (´;ω;`) ふたりとも早く楽にさせてあげたいね…
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