9ー①
その上級生に話しかけられたのは、北校舎にある階段の一番上。滅多に人の来ない踊り場で、んがーっと大口開けて、コッペパンにかぶりつこうとした時だった。
ちなみに言っておくけど、アタシは食いしん坊ではない。
これは、あれよ。朝から猛ダッシュしたからかもしれない。
だって、アイツがもたもたと玄関から出てこないもんだから、危うく遅刻するかと思った。そのせいで、余計なカロリーを使ったのね、きっと。
お昼休みも半分くらい過ぎた頃、どうもお昼が足りなくて、困ったことにお腹がエンプティマーク。少し悩んだけれど、アタシは友人の輪から言葉巧みに抜け出して、購買へと足を向けた。
今月のお小遣いはあまり残ってはいない。でも、授業中にお腹が鳴るよりはましだ。
このお金は、放課後用の虎の子だ。当然アイツと買い食いする為に残しておくべきなのだけど、背に腹は代えられない。
それに、パンひとつくらいならお財布的にもどうにかなる。腹持ちの良い惣菜パンが残っていれば御の字だ。
この高校には立派な食堂もあるけれど、アタシの家は決して裕福ではない。もちろん学生用の値段設定なのだけど、我が家にとっては少し厳しい。
そもそもアタシは少し人見知りの気があるもんで、ああいう不特定多数の人たちの中でご飯なんて、心の底から遠慮したい。
しかもクラスの友人曰く、手当たり次第にアプローチをかけてくるとんでもない上級生がいるだのいないだの。
学校でナンパとか、何考えているのだろう。頭がおかしいのかもしれない。
プライベートでは、その手の男はアイツが上手く対処してくれるから問題ないのだけど、学校内ではそうもいかないし。
心の底から口惜しいことだけど、こればっかりは仕方がない。
本当はお昼もアイツとふたりで食べたいのだけど、どうやらアタシは少し目立ちすぎるらしい。
お互いに注目されるのが苦手ということもあって、それに、小学生の時に酷く冷やかされた苦い経験も相まって、それ以来、あまり学校内では接点を持たないように気をつけるようになった。
『なんだ、お前らイチャイチャしやがって。結婚するのかよ』
なんて、今考えれば悪ガキ特有の鼻で笑うレベルの軽口だけど、当時は今以上に素直じゃないアタシだ。無視すれば良いのにね、教室でみんなに聞こえるように言うんだもん。
『なんで、こんなヤツなんかと。そうよ、キライよキライ。アタシはもっと格好いいヤツとしか結婚しないわ! 』
とっさに出た照れ隠しだけど、こういうのって言って後悔するの。しまった。そう思った時にはもう遅い。アタシは今でも胸が痛む。
だって、アイツってば、本当に悲しそうな顔で笑うんだもん。
『うん。そうだね。……ボクも大嫌い』
きっと、小さいなりに今後アタシが冷やかされないよう一生懸命考えたんでしょうね。
でも、初めて目の前がゆがんで見えたわ。本気で心をケガすると、涙って出ないものね。
ちなみにアタシはその日の晩から丸二日、高熱で寝込んだ。
アイツもその日、帰って来るなり布団にくるまって朝まで泣いていたらしい。アイツのおばさんからそれを聞いたのは何年も後なんだけど、『合わせる顔がないわ』そう言い残して、もう一度寝込んでしまった。当然その理由は内緒のまま。
季節外れの高熱に、何やってんだなんて、アイツは笑いながらお見舞いに来てくれたんだけど、顔を見るなりアタシがメソメソ泣くもんだから困り果てていたのを覚えている。
「うげげ……」
今頃になって、その時の罰が当たったのかも知れない。もしくは過去の苦い記憶が贖罪しろと叫んでいるのかも知れない。
着いた先の購買部には、なんというか、妙なモノしか残っていなかった。
その名も、『クリームたっぷり、でっかいあんパン』。それと、ふつうのコッペパンがひとつ。
もちろん人気商品が余っているかもなんて、そんな幸運は期待していなかったのだけど、それにしてもこれかと、頭を悩ませる。
もちろん、あんパンは好きだ。クリームも好きだ。もし家にこれがあれば、きっと妹と壮絶な争いになることだろう。だけど、目の前のパンは一つだけ難点があった。
『1個 280円』
……金持ちの道楽か?
人っ気の無い購買部で一人、思わず愛用のがま口を握りしめてしまう。
たぁっかい! 高すぎる!!
悲しいかな最後にお札が入っていたのは何日前か。硬貨のこすれる音だけがわずかに聞こえてくる。
超がつくほどの高級品じゃん。
そりゃ売れないでしょうね。四つほど残っているのも納得である。高校の購買部でパンがひとつ280円。確か食堂のうどんが200円くらいだって聞いたから、よっぽどの貴族か王族でないとこのパンを買わないだろう。
そして、もう一つのコッペパンは、最強の不人気パン。
60円ほどの安価ではあるが、もちろん中に何か入っているわけではない。
一度食べたことがあるけれど、口の中の水分が全部失われるほどにパッサパサなのだ。量を食べたい一部の運動部に人気があるらしく、そのせいでラインナップからはずれないのだろうけど、本当にただのコッペパンなのだ。
あのとき、二度と買わないと心に決めたんだけど……。
絶望的である。どうしようもない現実に、なんだか、余計にお腹が減ってきた。
午後の授業でお腹でオーケストラを奏でるか、それとも喉に詰まらせながら拷問のような食事をするか。
彼に電話してお金を借りれば解決する話だけど、でも……お金にだらしないヤツだとは思われたくない。
だからといって、授業中にお腹が鳴ると恥ずかしいし、それが長い人生で、アタシの恥は彼の恥にもなり得るわけで。
これから先、生活していく上で、そういう所は大切だと思う。ほら、アタシそういうの考える立場になるだろうし。
そうね、赤い屋根の真っ白な家とか憧れるわね。そこでアタシが家計簿を睨みながら電卓をたたいて頭を悩ませているのよ。すると彼が『ごめんな』って謝るの。でも、アタシは言うの。『アナタと暮らせるだけで幸せだから』……にへへ。なんちゃってね!
「コッペパンで良いのかい?」
「え! あ、あぁ……はい、スンマセン」
コッペパンを握りしめて、ニヤニヤしてるんだもん。そりゃ購買のおばちゃんも、この子大丈夫かしらと、声をかけざるをえないか。
自分でもわかるほど真っ赤な顔で、えー、話を戻しましょうと、咳払いをひとつ。
まぁ、仕方ないかとニヤつきながらアタシは購買部のおばちゃんにぺこりと頭を下げた。そして、おばちゃんの手にお金を乗せると、もう一度頭を下げる。
「美人が嬉しそうだとこっちも嬉しくなるね」
「そんな……にへへ」
まったく、こんなアタシが美人だなんて、恐ろしくお世辞が上手い人だ。あやうくもう一つコッペパンを買ってしまいそうになるじゃない。
接客業のテクニックだろうか、笑顔に不思議な力を感じるのだけど、こういう人を美魔女と言うのが正しい気がする。
アタシは失礼しますと一言その場を後にする。美魔女が、またおいでね、って手を振ってくれるから、もちろんこちらも小さく手を振った。
さてと、後はパンを食べて教室に戻るだけだ。
アタシは鼻歌交じりで北校舎へと足を向ける。
こういうときに行くところは決まっている。
そこは偶然見つけたとっておきの場所。誰も来ない北校舎の最上階、なぜか綺麗に掃除が行き届いている階段の踊り場が、アタシのお気に入り。
家庭科の授業で作ったりするのかな。手作りっぽいクッションまであるし、これがまたとてもお尻に具合がいい。
今度アイツにも教えようかな。そうよ、良い考えね。あそこなら周りを気にせず、アイツと二人でお昼を楽しめる。
料理は得意じゃないけれど、お弁当とか作っちゃったりして。
そして、食べさせあいっこしちゃったりして。
『あ~ん』とかしちゃったりして!
きゃぁもう、やっぱりたまらない。夢が膨らむわね。
ほんとアタシにとって、あそこは最高の癒やし空間みたいだわ。




