第3話 別れを告げる木簡
出産が終わって三日が経った頃。それは届いた。
コンコンコン
サーラの寝室の扉が叩かれる。ベッドに横になりながら王女をあやしていたサーラは王女に布団を掛け直した。
「どうぞ」
ギギィィッ
重い扉を開けて顔を出したのは扉以上に重そうな雰囲気を纏ったレオナールだった。
「レオ、大丈夫? 顔色が悪いわ」
暗い表情を浮かべるレオナールを見たサーラは王女に掛けた布団が捲れないように気を付けながら上半身を起こした。
「あ、あぁ。大事な話があるんだ……」
「大事な話?」
「あぁ……」
サーラは重苦しい雰囲気と大事な話という言葉を聞き侍女を下がらせる。どうにも歯切れの悪いレオナールだったが、サーラは急かすこともなく静かに言葉が続くのを待つ。暫く黙っていたレオナールは深呼吸して意を決した。そして重い口調で言う。
「……帝国から……木簡が届いた」
帝国とはティルノーグ王国に隣接する大国のブリテギス帝国のことだ。以前から何度も帝国の属国になるようにと木簡が届いていた。
帝国皇帝は稀代の賢帝と呼ばれる名君で本来ならこちらから願い出たい程のことなのだが、どの皇帝にも抱える問題はある。今代の皇帝が抱える問題は臣下が強欲で選民意識が高いことだ。
属国になればの王国民は帝国貴族から奴隷のような扱いを受けるだろう。そして貴族は民の見本とされている帝国でそんな扱いをされれば、帝国国民たちもそれに倣った態度をとり元王国民は虐げられる。それだけは阻止しなければならない。しかし、それを見越して皇帝に上奏しても皇帝に届く前に臣下たちに揉み消されてしまう可能性が高い。
つまり断り続ける他に道がないのだ。しかし断り続けるのにも限界がある。帝国はもともと軍事国家だ。皇帝は話し合いで属国を増やしてきたが軍事制圧が苦手というわけではない。それは他の皇子たちが皇位を簒奪していない状況からも見て取れる。このまま断り続ければいずれ軍事制圧される可能性も高い。
「……もう……限界なの?」
帝国からは頻繁に属国になるように木簡が届いていた。滅多にないというわけでもないので、普段ならレオナールが断るだけでサーラにその話を持ちかけることはない。それも大事な話と言って人払いさせるほどの話として語られることはなかった。それが意味するのは今までと状況が違うということだ。
産後間もないサーラに木簡の話を持ちかけた時点で、これ以上断り続けることは出来ないところまで来ていることを示唆していた。
「これを……」
レオナールはサーラに木簡を手渡した。木簡の第一文には友好条約を結ぶ提案がされていた。そして続く条約の内容の提案。書かれていた条約の内容は主に二つ。
一つ目は王国で産出された鉱石を優先的に帝国に輸入し、帝国は見返りとして王国軍の育成と王国守護のために軍を派遣すること。
二つ目は互いの国に治外法権の自治領を設けること。
そして最後に「内容に不服がある場合は話し合いの場を設けるので王族を一人派遣されたし」という一文。
「なっ……!」
あまりにも自分勝手な内容にサーラはギリギリと軋むほど強く木簡を握りしめた。
王国の鉱石は世界一と言われるほど高品質で特に武器の制作に向く玉鋼の産出が多い。帝国が玉鋼を求めるのは他国との戦争の際に大量の武器を確保をするためだろう。
見返りと言っている派遣兵はドサクサに紛れて王城に攻め込む危険性もある上に帝国からの派遣兵なので下手な対応が出来ない。もしも軍同士で衝突があれば戦争の引き金になりかねない。
互いの国に治外法権の自治領を求めたのは王国の干渉を受けずに内情を探ることが出来るからだろう。更に自治領の領民に思想を植え付けられれば内乱が起きる可能性もある。
もちろん軍事国家の帝国に軍のノウハウを教えて貰えるのは利点だ。王国の内情が探られるのと同様に帝国の内情も探れるので全くの損ばかりというわけではない。
しかしリスクが高すぎる。特に自治領に至っては認めてしまえば王国を内からも外からも攻められる状況を作ってしまう。ただでさえ、国力差で大きく負けているので普通に戦争したところで一週間も保たないと言うのに、内からも攻められてしまえば王国の崩壊は免れない。
「こんなっ! こんな条約っ!」
この条約を受け入れれば王国民が人質に取られたも同然の状況を作り出すことになり、受け入れなければ話し合いのために王族を一人差し出さなければならない。しかし話し合いに派遣する王族は人質と同義。帝国は家族と国民を天秤に掛けろと言っているのだ。
「国民と王族、どちらかを人質に差し出さなければ軍事制圧も吝かではないということだろう……」
「そんなっ!」
軍事国家の帝国と王国では戦争にもならない。一方的な侵略行為が始まるだけだ。侵略されれば名実ともに国民は奴隷にされる。
「国民を守るには王族から人質を差し出すしかない」
「…………」
その決断にサーラはもう何も言えなかった。
「産後間もない君や娘を人質にする事は出来ない。幼い息子たちにも荷が重い。母上は健在ではあるが帝国の生活に慣れるかどうか……。だから……」
その声には確かな覚悟が感じて取れた。何を言っても結果は覆らないだろうことを悟ったサーラは目を伏せる。
「もう……決めたのね」
「……あぁ。すまない」
「…………」
重苦しい空気が流れる。
「では、せめてこの子に名前を……。この子が父に愛されているのだと信じられるように」
「……そうだな。じゃあフレイアはどうだ? 気高く美しく聡明な女性になれるように」
「……良い名前ね……きっとレオの望む理想の娘に育てるわ。だからっ……帰ってきて……」
サーラは涙を流して懇願した。
「……必ず帰る。それまでこの国を頼んだ」
「……はい」
ギギィィッ
「…………あぁっ…………ふ……ぅ…………」
部屋を出ていったレオナールの後ろ姿を見送り、部屋に取り残されたサーラは耐えきれずに嗚咽を漏らす。サーラが咽び泣く声が広い部屋に響いた。