第五話 約束と好奇
その日も何時ものようにリィンスとともに文字勉強をした夜。
その後の自主勉強の方も相変わらず継続して行っていた。
ちなみに今夜は、昔の何処かの国の王様が主人公の物語だ。
同時に、つい先日に思い立ったあの日からの習慣となっているニホンの物語の書き起こしもだ。
最初は勉強の一環として行っていたこの書き起こしだが、今はなんとなく小太郎は“ニホン”との繋がりを感じて楽しみながらやっていた。
『今日はここまでにしようかな』
きりのいい頃合いで今日の作業を終えた小太郎は今度こそ眠るために片付けをしたあと床に着いた。
『う~~ん……』
ところが、目を閉じて寝かけた小太郎の意識を寝苦しさが襲った。
目を覚ます小太郎。
開いた目に寝苦しさの元凶が映る。
『……またリィンスさんったら』
そうぼやきながら、『うんしょ、うんしょ』と何とか二つの谷間から抜け出した小太郎。代わりに小太郎が丸めた毛布を押し付けると、『うへへぇ~』と涎を垂らしながら今度はそれを抱き締めていた。
強制的に起こされた小太郎は眠気の残るいつもの眼で、ボリボリと頭をかきながら欠伸を噛み殺す。
『目が覚めちゃったなあ……どうしよう……』
窓からの月明かりが照らす部屋の壁を眺めながら小太郎はぼうっと考え込む。
窓の外に顔を向けると、淡く輝く霧越しの月と虫の声が聴こえていた。
『……よし』
少しの静寂の後、無言で思案していた小太郎が立ち上がる。
小太郎はそのまま音を立てぬよう部屋を出ると、これもまた音を立てないように家を出た。
小太郎は、部屋のものと同じような豆球ぐらいの外灯を片手に家の裏側から先に向かって歩いていく。
こちらの方は村にとっても裏側になる方角で建物も少なかった。
こんな夜更けに子供が外出していると、もし見つかった時に怒られてしまうかもと考えての行動だった。
『思ったよりも明るいんだなぁ』
そんなことを独りごちながら、月明かりと外灯を頼りにトコトコと夜の散歩に努める小太郎。
――と、
『……ここから外、なのか……』
目の前には、小太郎の背丈よりも若干高い木の策が立ち塞がっていた。まるで内から出る事を阻む檻のように。
つまり、ここまでが村だということだった。
『外か……』
リィンスにも絶対に外に近づいてはいけないと言われている小太郎はそれを思い出す。
(うん。危ないからダメだよね、やっぱり。……でも、柵の外からすぐに危なくなるわけじゃあないみたいだし……)
そういう理由もあってか、段々と誘惑に負けそうになる小太郎。
この柵の立っている場所として、この外側がいきなり危険区域になってしまうという訳ではないのだ。
万が一何かの理由で子供などが柵から出た場合の事もあるが、あくまでも目安としてこの場所に立てているのである。なので実際にはこの柵の外側にも安全区域は少しの余裕を持って存在していた。
目の前に立ち塞がる柵をジッと見詰める小太郎。
時間ともに、小さくない好奇心とほんの少しの過信によって、約束だったものは薄れさせられていく。
このところ連日物語を読んでいた所為か、自分にならひょっとして何か解るかも、等という何の根拠もない愚かな考えが小太郎の頭に浮かぶ。
それから暫し悩んだ結果、
――キイィ……
ゆっくりと音を立てないように柵の扉を開ける小太郎。
『よいしょ、っと』
門をくぐると、辺りを確認してから直ぐに扉を閉めた。
周囲を確認したのは、万が一見回りが居た時のことを考えてだった。
この村は開拓村を脱したばかりの村の為、もう少し村が大きくなるまでの間は、村の安全のために数人だけではあるが警備の兵士の様な人達が常駐しているのだ。小太郎も何度か会話を交わしたことがある。
夜はその人達が定期的に見回っているというのを小太郎も聞いていた。なのでそれが気になっていたのだ。
幸い今は誰もいなかった。
門を出て少しばかり歩くと、やがて境界がはっきりと視認できる。
安全地帯と危険区域の境目が。
まるで透明なガラスの壁に仕切られたようにはっきりと境界線になっていた。
(たしか……なにかの装置を使ってこの結界を張っているんだよね……〈制御晶〉、って言ってたっけ)
一時の間、その不思議でどこか幻想的な光景に見とれていた小太郎だったが、我に返るとそのことを思い出した。
ここまでやって来た目的の半分はその装置を一度見てみることだったのだ。
リィンスいはく、その装置も魔道具の一種のようで、白霧を退ける結界の効果と浄化の作用を併せ持っているらしい。
どのような物なのかまでは聞かされていなかったが、柵の外に複数個設置されているということだけは教えてもらっていた。
辺りを見回しながら周辺を歩いていると少し離れた場所に、
『……これ、かな?』
それらしきものがあった。
小太郎はそれのある方へ視線を落とす。
視線の先の地面がある筈の場所には、四畳分ほどの大きさに深い穴が空いていた。人の背丈程の穴がちょうど六角形のような形になって。
穴というか、そこだけ地面をくりぬいたようになっている。
そしてそのくり抜かれた穴の表面には透明のガラスの板のようなものが六角形の形に合わせて填められていた。
まるでそこだけ、どこかの美術館などにでもありそうな芸術的な様相を呈していた。
その穴の周りを囲うようにして、簡易の柵が立っているためそれ以上は近付けない。
小太郎は柵の隙間から屈み込んで穴の中を見てみる。
(……なんか少し光ってる)
ガラスの様な透明の板越しに穴から僅かに青い光が漏れ出ていることに小太郎は気が付く。
その光の発生源が気になった小太郎は、さらに柵の隙間に顔を近付けて穴の中を覗き見ようとする。
『……あれが、〈制御晶〉……?』
穴の底にはこの漏れ出る光の発生源と思われる物体が鎮座していた。
角度的に小太郎の視界には完全には入らないが、なにやら筒状の金属製の大きな試験管のようなものが横向きに措かれているのが見えた。
例えて言うなれば、何かの研究所などで使われていそうな実験器具の様なものに似ている。
その筒状の試験管のような物体は中心部だけが穴の表面と同じような透明の素材でできていて、そこが青く光ってがいた。
小太郎が更に目を凝らして見ると、
(なんか模様みたいなものが……)
その容器の表面には小さな文字のような模様が描かれているのが見えた。描かれているというよりかは彫られているというのが正解なのかもしれない。
ファンタジー系の映画なんかによくありそうな、刻印や儀式文字っぽい。
(あれも“魔道具”の一種なんだよね)
リィンスからはそう聞いていた。勿論、小太郎が今手に持っている外灯のような物ではなく、もっと遥かに高度なものらしいが。
その後も暫く柵に寄り掛かりながら観察していた小太郎だったが、当然といえば当然のことながらそれ以上得られるものは何もなかった。
『これ以上ここにいたら見回りの人達に見つかるかも』
それは不味いので、見るものは取り合えず見たんだし、と戻るために行動に移そうとした、その時だった。
――ガサッ
『!?』
不意に聞こえた音。
小太郎は思わず音のした方に目を向けた。
『なに……誰かいるの……?』
もしかしてと思いながら、誰に言うとはなしに小太郎は声をかけた。
だがその時小太郎の頭には、『ありえない』という事実も浮かんでいた。
なぜならば、声を掛けたその方角が霧のある方だったから。
小太郎の心臓の鼓動が早鐘を打つように高まる。
それは直ぐに現れた。
『人……』
闇夜に漂う白い霧に、黒の影が浮かぶ。
月明かりに照らされた白霧のように、ゆらゆらと揺れながら。
その黒い影は、人の形をしていた。