第三話 景色
『ん? 誰だ?このがきんちょは、名簿に乗っていないぞ?』
『多分、途中で立ち寄った町で紛れ込んだんじゃないですかね?』
『――おい、お前どっから乗り込んできやがった?……なに? ニホン? どこだそれは?』
『きっと孤児でしょうぜ。いつものよくあるやつですよ』
『……ッチ、しょうがねえ。増える分には問題はないからなぁ、ガキだが。まあ俺らには関係ねぇか。 あとは村のもんが何とかするだろう』
馬車に紛れ込んだ異物ともいえるはずの小太郎だったが、何故かこうして追い出されることもなく終着地であるウォルマト村まで連れてこられた。
幸いにも元々の性格からその場の空気の様に溶け込むことの得意な小太郎は、混乱から無用に騒ぎ立てることもなかったのも関係しているのかもしれない。
表面上ではいつものボンヤリ眼を決め込んでいた小太郎だったが、内心では少しでも状況を少しでも把握しようと頭をフル回転させていた。
(記憶はあの時が最後……それで気が付いたらここに……。記憶の最後はいつもの帰り道を歩いていたはず……だとしたら此処はいったい……。この馬車らしき乗り物といい乗っている人達の服装といい……)
何度か夢なのかもと頬をつねってみたりした小太郎だったがどうやら残念なことに違うらしい。
夢でなければ、あの時あの老人と会ったことがほぼ間違いなく原因だろう。それ以外に思い浮かばない。
必死に思考を働かせる小太郎。
この馬車のような乗り物といい、皆の着ている服や顔立ちといい、
どうみてもニホンとは思えなかった。
それどころか、
(外国に誘拐されてきた?……いやでも……言葉が理解できるしそれに、とても現代とは思えない……)
たとえニホンではなくとも、今の現代とは思えなかったのだ。
生まれてから一度も海外旅行をしたことのない小太郎ではあったが、人並みの知識は持っているつもりだ。
国によって違いはあれど、地走自動車よりも飛行自動車の数が勝りつつある現代でどう考えても馬車の使われている国や地域があるとは思えなかった。
幾ら考えても答えの出ない現状。だがそんなことは無関係に馬車は進み、やがて到着する。
『――うわあ』
訳も分からぬままに身一つの小太郎がやってきたのは、
(これは……現代じゃないよね……)
馬車にいるときは見ることの出来なかった外の景色を小太郎は目覚めて初めて目にする。
眼前に広がる閑散という言葉をそのまま形取ったような集落。そしてそこにある木造りの建造物など。
――何よりも異様だったのは、村を包み込むようにして辺り一面を覆うその〈白い霧〉だった。
まるで、巨大な一つの生き物のように蠢いてみえる霧にポツンと空く空間に村が存在しているようだった。
何かの物語にでも出てきそうな〈霧の大地〉。
小太郎はそんなものを思い浮かべた。
それらを見た小太郎はここが違う世界だと結論付ける。
(何世紀も昔の時代の風景を見てるみたいだ……)
目の前の閑散とした、よくいえば長閑な風景はおよそ文明とは離れた様相を呈している。
それこそ、ニホンだと百年や二百年前の様な。
この時点で小太郎は、何処かも知らぬ此処がニホンとは異なる文明レベルなのだろうと推察した。
馬車から乗り合わせていた人間が皆が残らず出る。小太郎はその一番最後だった。
訪問者である自分達の前には幾人もの人集りが出来ていた。
この集落――村に住んでいる人達なのであろうことは小太郎にも何となく解った。
すると、自分らを連れてきた男達の中の一人が、その中の一人と何やら言葉を交わす。
恐らくは報告や連絡事項の類いだろうと、それを見ながら小太郎は思った。
ここに来るまで、小太郎は特に説明らしい説明は受けていなかった。何処に向かうのか、そこで何をするのか、といったことを。
が、周りから、『これからここで……』、『思ったよりも広いし開拓されているな』などという声が聞こえてくる。その顔には期待と不安と安堵の入り交じった表情を浮かべていた。
そんな声を耳にした小太郎は、どうやら最悪の想像通りにはならなさそうだと思った。
ここに来るまでの馬車の中で、『何か酷いことをさせられるんじゃないのか』、『もしかして殺されるんじゃないのか』という暗い嫌なことを想像していたのだ。
(……けど、まだ分からない)
何しろ何も説明されていないのだ。まだ安心するには早かった。
小太郎が、そうして緊張と不安から目に涙を溜めてプルプルしていた時――、
『(あれ……あの子は………)』
入村者達を歓迎する村人の人集りの中にあった碧の瞳が小太郎のことを不思議そうに見つめていた。
彼女の目に映ったのは、ぎゅっと拳を握って必死に堪えながらも今にも泣き出しそうな震える仔犬のような姿の小太郎だった。
『……もしかして一人なのかな。 たぶん、そうだよね……』
小太郎のそんな様子からそう推し測った彼女。
彼女は、不安気に視線を彷徨わせる未だ幼さの残る少年の姿をその大きな碧い瞳で見つめ、少し悩んだのちに人集りから前に出た。
そして、
『――キミはどこから来たのかな? もしかして一人? お父さんやお母さんは?』
そう優しい声で小太郎に話しかけた。
『え……あ、そ、その……』
『――そっか……うん、ごめんね嫌なこと訊いちゃって。 それで、見たところキミは一人みたいだけど、この村に知ってる人とかいるのかな?』
口ごもる小太郎に対して、一方的に納得した女は、『ん?』と優しい眼差しで訊ねる。
『い、いえ……だ、だれも……』
いざ自分で口にしたことで急に不安が押し寄せ、少年の目が今にも決壊を起こしそうになる。
『……そうなんだね……うん。 キミ、良かったらウチに来ない?』
小太郎の話を聞いたあと、考え込む素振りをみせた少女はややあってから、ポンと泣き出しそうな小太郎の頭に手を置いてそう言った。
その時の彼女の表情は、陽の光に照らされて輝く黄金色の髪のように眩しく耀いていた。
小太郎は突然の申し出に困惑しつつも頷いてみせる。
『そっか、そっか。うんうん、じゃあ今からキミは私の弟だね! あ、私はリィンスっていうの――だから、“リィンお姉ちゃん”って呼んでね?』
小太郎の返答のホッと安堵したと思った彼女は矢継ぎ早にそんなことを言った。
思わずポカンとする小太郎。
『え、あの、その、リィンス……さん……』
『(つーーん)』
『あ、リィン、お、お姉……ちゃん?』
『はい。良くできましたっ』
答えに満足したリィンスがニコリと華の咲くような笑顔を浮かべる。サラリと黄金の長い髪も揺れて、年下の小太郎から見ても彼女は可愛らしかった。
そこから話はトントン拍子に進んだ。
気付けばリィンスから母であるターニャを紹介され、家主でもあるそのターニャからも『もちろん。お母さん、男の子も欲しかったから嬉しいわ』等と言って二つ返事で受け入れられた。そしてここでも『お母さん』と呼ぶことを約束させられる。
少々強引な流れではあったものの、身一つで行く宛のない小太郎にとっては本当に有り難かった。
一緒に馬車でやってきた人達は各々がそれぞれ割り当てられた家に案内されて行き、小太郎もまた二人に連れられて行く。
『はい、到着。コタくん、ここが私の家だよ』
『ふふっ。何もない所だけど、今日からコタくんの家でもあるんだから気兼ねなんてしないでね』
そこは何の変哲もない一軒の平屋だった。
家の中に案内されてまず感じたのは木の薫り。中は意外に広くシンプルな間取りになっていた。
家の中に案内された後、小太郎は改めて二人から自己紹介をされる。
歳はリィンスは十六、ターニャは『二十歳?』だそうだ。
リィンスの父でありターニャの夫は数年前に他界しており、それが理由で数年前に二人でこの村に越してきたのだそうだ。
以来、リィンスとターニャはずっとこの家に二人で暮らしているということだった。
そこに今日から小太郎が加わる。ニホンではないということしか分からないこの村で。たとえ戻る宛がなくとも、この世界を知るために。
その日から二日が経った頃の事。
『よいしょ……うんしょ……』
小太郎は麦わら帽子を頭にせっせと汗を流していた。
体の割りに大きな帽子が座り悪げにふらふらと揺れている。
リィンスに訊いたところ、今は春から夏に差し掛かろうという頃だそうだ。
夜は肌寒いこともあるが日中は中々暑い。
きりのいいところで一息つこうと小太郎は土のついた手で額の汗を拭った。
腰に下げた皮袋の水筒を手にとって口にする。
これは小太郎用にとターニャが用意してくれたものだ。
コクコクと水分を喉の奥に流し込みながら、ふと小太郎は遠くに目をやった。
相変わらずの〈白い霧〉が見える。一日中ずっと。
地域性のものなのかなと、そこまで深くは考えていなかったが、それでも何となく気にはなっていた小太郎。
(霧がよくでるのは、たしか盆地だって前に学校で習ったような……)
加えて、気温の下がる朝に出ることが多かったはず。
それが一日中ずっと出ているのである。
小太郎はまだ村の外に出たことがない。今のところこの畑までが小太郎の知る村だった。
と、小太郎が外を見詰めてぼうっと考え込んでいると、不意に声が掛けられる。
『――ここはまだ初期の開拓が終わったばっかりだから、まだ大した“領域”が確保されてないんだ。だから少し窮屈に感じるかもしれないけど我慢してねコタくん』
『あ、はい』
掛けられたリィンスの声に反射的に頷く小太郎。が、なにやら聞いたことのない言葉があった。
『……あの、領域って……?』
『――えっ』
『えっ?』
思わず二人が顔を見合わせる。
『え……もしかして、コタくん……〈白霧〉を知らないの』
『〈白霧〉、って……』
まさか、といった顔で尋ねるリィンスに、意味が解らないといった風に返す小太郎。
その反応にリィンスは思わず唖然とする。
驚きのあまり見詰め合った状況のまま暫し固まっていたリィンスだったが、ややあってからハッと現実に返る。
『〈白霧〉を知らないって………そんなことが………。 もしかしてコタくんは〈白霧〉の存在してない所から……でも、そんな所あるはずが……』
一転して険しい顔で一人呟くリィンス。
そんな彼女に対して何て説明したものかと小太郎が押し黙っていたが、
『うん――まっいっか、細かいことは!』
小太郎に何かしらの事情があると思ったのか、それとも単純に思考することをやめたのか。リィンスはそれ以上考える事を止めたようで小太郎に対して何も詮索することは無かった。
気を取り直したリィンスが“白霧”を知らない小太郎に説明する。
『あの霧は“白霧”っていって人間の体にはすごく毒なの。白霧の中に入ってしまった人間はすぐに死んでしまうわ。 今この村の土地だけは浄化が終わって“安全区域”になっているけど、外はまだ“汚染区域”なの。 だから、村の周囲にある柵から外には絶対近づいちゃダメだからね』
『死んじゃうんですか……?』
『死ぬわ。人によって差はあると思うけど、どっちにしても一日と持たずに死んじゃうわ』
話を聞いているうちに段々と顔色を悪くしていく小太郎に、リィンスは真剣な表情で言い聞かせる。
詳しい事はリィンスだけでなく誰も知らないらしいが、彼女達の生まれるずっと昔から存在しているらしい。
解っているのは、人間や人間以外の動物にとっても毒であり、“浄化”するためには長い時間を要するということだけなのだとリィンスは言う。
この大陸の殆どを白霧が支配していて、全土に比べて人の生活圏は僅か一割にも遠く及ばないらしい。だからこうして、時間と労力を使ってこの村のように少しずつ開拓して土地を広げているのだと。
(毒ガスみたいなものなんだろうか?)
“チキュウ”でも公害などによって空気が汚染されるということは多々あった。大昔でも大地は天然の毒のガスに満ちていたという説を聞いたこともある。
なので、そういう類いの何かしらのガスなのかも、と小太郎は思った。
とはいえ、
(とんでもない所に来ちゃったみたいだ……)
そう、小太郎は思った。