第二話 ウォルマト村
太陽が季節の色に耀き雲は緩やかに風と共に流れる暖かな日。
そんな空の足下、広大な大地のほんの一画にそれはあった。
実る大地の恵み。人の住まう地が。
その中にある畑で、
「コタくんありがとう。コタくんのおかげでお母さん助かっちゃうわぁ。 ひとりだと大変だもの」
うっすらと汗の滲む額を手で拭いながら、そう言って笑顔を見せる女性。
コタと呼ばれた少年が答える。
「――いえ、ボクは大したことは……それに、お世話になっているのはこちらの方ですから、ターニャさん」
少年は恐縮そうに、ターニャと呼ばれる日々の畑仕事から薄い褐色に焼けた肌の妙齢の女性に畏まる。
すると、女が不満気な顔をした。
「こーら、おかあさんでしょ?」
そんな歳でもないのだろうが妙に似合う仕草でプクっと頬を膨らませメッとするターニャ。
思わぬところで不興を買ってしまった少年は、いつものボンヤリ目とは違う、伏目がちに呟くように答える。
「……え、っと……お……おかあさん」
「はい。良く出来ました、ふふ」
満足気なターニャは、その黒い少年の髪をクシャクシャと撫でた。
もう何度目かのやり取りだった。
コタと呼ばれた少年は、朝からの作業であった雑草抜きによって集めた小山のような束を抱えて運ぶ。空を見上げれば重層のくすんだ白い霧に隠れた太陽が中天に差し掛かっていた。
「コタくん、それが終わったらお昼にしましょうか」
「はい、分かりました」
きりのいいタイミングで声を掛けてくるターニャに少年は答える。
大体いつも通りの時間だ。
周りを見渡せば、幾人かの人達が同じ様に区切りのいいところで作業の手を止めているのが見える。
二人は村の畦道を並んで歩いていく。道すがら、すれ違う人達に労いの声を掛けながら。
ここは、百人程の人間が集まって暮らす、所謂開拓村と呼ばれる集落だった。
村の名前をウォルマト村。正確には“準開拓村”だ。この準というのは、最低限の開拓が終わって間もないことを示す。
元々何もなかった土地に、税の免除や幾つかの優遇措置と引き換えに他方から集められその土地を開拓していく。そうして幾つもの小さな村を開拓していくことで、人の住まうことのできる土地を少しずつ拡げていくのだ。
そして、少年はそんな小さなこの村で暮らす人間の一人だった。
畑から少しばかり離れた場所にある家まで戻ってくると、ターニャシャの用意してくれた昼食を二人でとる。
木の香りのする、そう広くはないが小綺麗な家。その居間にある木目の浮かぶテーブルに少年は腰掛けて、昼食である吹かした芋にぶつ切り野菜スープという少々男らしさ漂う献立を義母と向かい合わせに口にする。
ごろりと中々の存在感をみせる芋を相手に、少年がモキュモキュと必死に格闘していると不意に、ターニャがスープを掬う手を止めて呟いた。窓から覗く外の空を眺めて。
「リィンは今頃、ちゃんとご飯食べているのかしらね……」
「……リィンスさんなら大丈夫だと思いますけど……でも、偶におっちょこちょいな所もありますからね」
「ふふふ、ほんとにね。あの子、たまによくおっちょこちょいだから」
少年に顔を向けるとターニャはそう言って笑った。
リィンスとは、ターニャの一人娘の名前だ。諸事情から五ヶ月程前に村を離れ、現在ある都市で暮らしていた。
十二歳の少年より年上の、此方では立派な女性である十六歳の少女であった。優しい女性で、血の繋がらぬ少年にも実の弟のように接してくれていた。
そんな思考に少年が沈んでいると、
「ま、この間の手紙でも元気そうっだし、心配はいらないと思うけど。 でもコタくん? ちゃんと『お姉ちゃん』って呼ばないと、今度会った時に怒られちゃうわよ? ふふ」
「……善処します」
俯き気味に少年が答える。ターニャと同様に未だに意識せずにはそう呼べないでいた。
「それにしても、まさかリィンが“綺士”とはねえ……初めは、自分の娘が〈適応者〉っていうだけでも驚いたのだけれど。 そのうえ、養成所に入って直ぐに期待の新人扱いされて、更には飛び級で“綺士”だっていうんだから解らないものね……」
外を眺めながらターニャは、未だに実感が湧かないのか頬に手をあてたままどこか感慨深げにそうこぼした。
〈適応者〉とは、この世界の環境に対して他の人間よりも適応する能力を生まれ持った数少ない人間の事を示す。
そして〈綺士〉とは、その数少ない“適応者”の中でも更に高い能力を持った人間だけがなれるのである。
まさに一握りの存在というわでだ。
義姉であるリィンスがその〈適応者〉としての能力を見出だされてのが五ヶ月前。
あの日、あの事件を切っ掛けにして。
そして、少年がこの村にやって来たのも。
少年はあの日の事を思い出す。
あの直前まで季節は夏だった筈なのに、目が醒めれば何故か肌寒かったのを覚えている。
あの老人と出会ったのを最後に〈穴〉に取り込まれた少年が目を醒ますと、そこは人の満載された馬車の中だった。
穴に取り込まれたあの時は、もうこれで終わりなんだと諦めていた。が、そうして目を醒ました先がガタゴトと音を鳴らすおよそニホンでは存在していない、馬の牽く箱の中だったのである。
まるで中世の時代だ。
理解不能な状況に困惑しつつも、取り合えず状況を把握しようと周りを見回すが、そこで少年の目に映ったのもまた、ニホンとは異なる服装、そして容姿の人達だった。
そんな人間が何人も乗った馬車に自分がいる。
顔を見れば、誰も少年が此処にいることに対して疑問を感じていなかった。
少年の小さな頭に渦巻く疑問を余所に、馬車はガタゴトと音を立てて目的地へと向かう。
そうしてニホンから迷いこんだ十二歳の少年“小太郎”が、訳も分からぬままに辿り着いた先――それがウォルマト村だった。
そこで小太郎は出会う事になる。
白く灰色の瘴気――〈白霧〉に覆われた世界にある、小さな小さな村で、ターニャとリィンスという二人の女性に。