第一話 プロローグ
少々、展開が遅いかもしれませんが、
宜しくお願い致します。
欠けた月の浮かぶ漆黒の大空を、月の光を煌めかせながら、獣が泳ぐように駆ける。
それは巨大で、そして獰猛でどこまでも恐ろしい獣。
それは、只々泳ぐように空を舞う。
この世界に災いをもたらそうと、不吉の声を奏でながら。
欠けた碧の月はそれを静かに見下ろしている。
◆◆◆◆◆◆
とある一般道の交差点で一人の少年が信号が変わるのを待っていた。
鮮やかなLEDが赤から青に変わる。それに合わせて少年も歩き出した。
無数の車の波とクラクションの中をてくてくと歩く少年。
ふと頭上を見上げれば、地上だけでなく空にも<飛行自動車>が列を為し飛び交っているのが見えた。
相変わらず上も下も忙しいな、等と少年は思いつつも横断歩道を渡る。
通り慣れた街路を歩きながら道行く人を見やれば、茶や金や銀に髪を染めた女性に、少年と同じような黒髪の地毛のままの人もいる。個性の表現の仕方の一つなのだろう。
しかし、そんな皆に総じていえるのは十人中十人が、腕に嵌めた腕時計型携帯端末に目を向けて忙しなく操作していた。
ある者は瞬きも忘れてSNSに精を出し、またある者は浮かぶディスプレイを眺めながら人目も憚らず大きな声を上げていた。
目を覚ましてまずすることは、枕元の端末を腕に嵌めること。それさえあれば世の大半の事は済んでしまう。
それがこの世界、これがいつもの日常の風景だった。
少年はそんな日常の中の行き慣れた道を帰路に沿って歩く。
どこにでもある普通の光景だった。
至って普通の、ごくごく平均的で平凡な、どこにでもいる学校帰りの十二歳の男の子。
それが“小山田 小太郎”だった。
普段からどこか眠たげな目のボンヤリした少年は、ブレザーに肩掛け鞄の出立ちで、ただただ淡々と道歩く。
このどこかボンヤリした少年は、その同年代と比べると少し背も低くてやや小さな体躯だった。
そしてその見た目からくる、気弱な印象通りに、よくいえば控え目な性格だった。
が、だからといって内向的で友人がいないわけでもなかった。
今日とて途中まではクラスメイトと一緒に帰っていたのだ。
超少子化時代といわれているこの時世だったが、少ないながらもそれなりにいるクラスには他にも喋り合う仲の良い友人はいる。
気弱そうな小さな体を別にすれば、少年が特別変わっているというわけではない。多少の差はあれど、この少年のようによく言えば控えめな、悪く言うと自己主張の少ない人は今の時代多い。
余計な波風を世に立てないこういった人間性は、ある意味この時代に沿っているのかもしれなかった。
てくてくと帰り道を進む少年が家の近所に差し迫る。
眼前にはちょうど工場現場があった。
ここは一月程前から工事をし始めた現場だ。
また地上下用マンションができるらしい。家の直ぐ近所にも同じようなマンションが建設中なのだ。
この都市は一体どこまで人口を過密化させる気なんだ、と益体もない考えを浮かべながらもそのままその工事現場を通り過ぎようとした時、
「――わっ」
突としてビュッと吹いた風が小太郎の顔を叩いた。
それによって小太郎のサラサラの黒髪が跳ねる。
風は一瞬の事だった。
「まったく」
言いながら小太郎は風のせいで口に入った砂をペッペッと吐き出しながら髪を整えたあと、気を取り直して家までの帰路を進み始めようとした。
「うん?」
その直後、ふと工事現場にあった見慣れぬものが視界に映る。
出かけた足を止めてそれを見やった。
「……なんだろう?」
早く帰りたくもあったが、好奇心に負けた小太郎は工事現場に足を踏み入れる。
すると、
「え、人……?」
そこには、ボロボロになって横たわる人がいた。
小太郎は思わず目をみはる。
(なんでこんな所に人が……)
その光景に一瞬思考を停止させるが、すぐに思考を現実に戻した。
おっかなびっくりにその人物に近寄った小太郎は取り合えず声をかける。
「あ、あの、大丈夫ですか」
小太郎がそう訊ねながら男性の身体を揺すってみるが反応はない。
近づいたことによって男性の容姿がはっきり視界に映る。
(四十歳くらい、かな)
髪や髭がモジャモジャの伸びくさしな所為ではっきりとは分からないが、おおよそそのくらいの年齢だろうと小太郎は思った。
服はボロボロだったが、目立った外傷はないように見える。
何度か揺すってみるがやはり反応はなかった。
「息はあるよね……もしかすると、“コア”になにか問題が……?」
小太郎は考える。
もしそうなら自分にはお手上げだ。
(取り合えず警察に連絡しよう)
もしかしたら犯罪絡みなのかもしれないし、そうした場合下手に判断してとばっちりを受けてもたまらない。
小太郎もその例に漏れず自らの腕に嵌めている端末を操作して“一一〇番”しようとした。
――と、その指を声が遮る。
「――こ、こは……」
「わっ!? あ、あの大丈夫ですか? 何か倒れていたんですけど……。意識は、ここが何処だか分かりますか?」
小太郎は思わず体をビクリとさせるが、倒れていた男が目を開けていることに気付くと現状について訊ねた。
「ここは……おれは一体……君は……」
混乱する視線で周囲を見回しながら男は言うと、屈んだ姿勢のまま自分を覗き込む小太郎に視線を固定する。
数秒の間、小太郎を見詰める男。
「……きみは……そうか、そうだった……ということは此処は――ゴホッゴホッ」
最初、不思議そうに小太郎を見ていた男が何かを思い出したかのように僅かに目を開くと、勝手に一人で納得しておもむろにそんな事を口走ると再度周囲に視線を向けた。
男の顔色は非常に悪く、具合いも良くなさそうに見える。
「あ、あの……」
さっぱり状況の掴めない小太郎だが、男の顔色の悪さから、おずおずと声をかけようとした。
次の瞬間、バッと振り直った男に腕を掴まれた。
「わっ」
「――少年、ゴホッ……今は、突然の事に混乱しているだろう……だが、俺にはもう詳しく説明するだけの時間がないようだ……ゴホッ、ゴホッ。 だから君には、限られたことしか伝えられない」
「え」
男は驚いている小太郎に構わず一方的に喋る。
「君は今……帰り道の、途中なのだろう? 学校帰りだったか……まぁそれはいい。ただ一つ言えるのは――この道の先、君にはある運命がまちうけているかもしれない」
「え?」
「―――その運命の先で、君は絶望を目の当たりにするかもしれない。 理解の及ばない巨大な不条理の壁が君というちっぽけな存在の前に立ちふさがるかもしれない……そのとき君は、抗いようのない現実に絶望するかもしれない。 及ばぬ自らの力の無さに心を引きちぎられるかもしれない。
……だが、それでも――そうだとしても、目を逸らすな、立ち向かうんだ――ゴホッゴホッ……どんなに惨めでもいい。どんなにみっともなくたっていい……ただ、目を逸らさず立ち向かえっ……ゴホッ……君ならきっと、それができる。 そう信じている」
一方的な男は、けれども真剣な目で小太郎に訴えていた。
男の口からは赤いものが流れて、顔色にも青さが増す。コアではなく内臓に異常があるのかもしれない。
男はそれでも続ける。
「いきなりこんなことを言ってすまない……いや、謝るのも変か……だが、今言ったことだけは覚えていてくれ……決して、俺と同じ過ちは――ゴホッゴホッゴホッ」
男は血の混じる咳を発しながら、無言のまま話を聞いていた小太郎の胸元に手を寄せる。
「……たとえ……この〈道〉の先に何が待ち受けていようとも……」
男はそう言って、コツンと少年の頼りない小さな胸を叩いた。
「――君になら、きっと出来るから」
そう言うと男はフッと笑う。
(何を言っているんだ……運命とか絶望とか……)
小太郎は混乱の極みだ。
すると、いよいよ容態の悪化してきた男が激しく咳き込む。
「ゴホッゴホッ……どうやら、時間切れのようだ……最期に、もう一度謝らせてくれ。 本当にすまない……けれど、信じている……そして切り開け――■■%■■*■£■■……〈ライオンハート〉……」
「えっ、ち、ちょっとっ」
一方的に喋り、そして一方的に謝ると男は役目を終えたかのように目を閉じた。
驚く事に、男がスゥっと目を閉じた後、男の体は霞のように消えてなくなってしまった。
「……え」
まるで幻のようであったかのように消えた男の跡を見詰めて小太郎は呆然とする。
「なにが、どうなって……」
まるで意味が解らない。男の言った意味も、それを小太郎にいった理由も。
狐につままれたようだった。
(それに、最後なんて言ったのかな)
男が最後の方で言った言葉にならぬ様な声が気になった。
ひょっとして幽霊、なんていう益体もない考えが浮かぶ。
暫く放心していた小太郎だったが、幾ら考えてもまるで解らないので取り合えず帰ろうと思った。無性に帰りたかった。
(……帰ってお母さんに相談してみよう)
小太郎は、なんとなく胸につかえるものを感じながらも帰路に返った。
そうして、家の直ぐ近所まで辿り着いた小太郎の耳に、トンテンカンテンという音が聴こえてくる。
此処も先程と同じようにマンション建設をしている最中の場所だ。この現場は、まだこの時間でも作業中のようだ。
一瞬、さっきの奇妙な出来事が思い返されるが、小太郎は頭を振って通り過ぎようとする。
――が、その次の瞬間、
「っ!?」
ぐわんっと、空間が歪んだ。
続けて、バチバチバチッ――と周辺を細かな雷のような紫の光が幾つも迸る。
そう、思った時には目の前の何もなかった空間に穴が開き、そこから現れた――男が。
「……」
今度ばかりはいつもの眠たげな小太郎の目も見開かれていた。
そのまま僅かな間が流れる。
すると、そんな小太郎を余所に男はついていた片膝を上げた。
「……此処は……そうか、成功したか……。すると、君は“小山田 小太郎”か?」
男が立ち上がりながらそう小太郎に向かって言った。
――既視感――
そんな言葉が浮かんだ。
「な、なんでボクの名前を……」
一体自分に何が起こっているのか。
さっきの今で、自分の名を知る誰かも知らない人が穴から出てきたのだ。
外見からは年齢ははっきりとは分からない――が、あの男よりかは歳をとっているのは間違いないだろう。
その人物は老人のように見えた。
「すまない……説明している時間はないのだ、ゴホッゴホッ――」
だが、同じ様にとても顔色が悪かった。それどころか、この人は体中が血塗れだった。
「すまない……グッ、ゲホッ……許してくれ……君に幸運を……今度こそ……」
「え――」
どこか寂し気な目をした老人が小太郎に告げた後、穴が大きくなった。
小太郎を飲み込むほどに大きく。
(あぁ、さっきの男が何か言ってたなあ……)
帰り道の先がどうとかって。
そんな事を小太郎は思い出していた。
走馬灯のように記憶が流れる。
自らが何か大きな事に巻き込まれたことを悟った。
小太郎は、まるでのたうつ様な紫の雷をボンヤリ見つめながら、閉じ行く暗い穴に家で待つ母を思い浮かべた。
それを最後に小太郎の視界は完全に闇に染まる。