22 後ろにいたモノ
「これで、1件落着だねー」
今までため込んだものを吐き出すように泣き続ける日下先輩と吉森少年を背景に、彰はぐぅっと背伸びをする。
未だにマーゴさんの作り出した空間の中。背景は赤く禍々しいが、あの様子だとしばらくはここにいた方がよさそうだ。
あんなに泣いている2人が現実世界に戻ったら、周囲の人がびっくりしてしまう。
もう少し時間があるとわかると、すっきりした様子の彰の背を軽くたたいていた。特に理由があったわけじゃないが、なんとなくそうしたかったのだ。
「……何それ、いたわり?」
「……うーん、たぶん、そんな感じ」
「自分の行動なんだから、責任もちなよー」
そう言いながらも彰は機嫌がよさそうで、私も何だか嬉しくなって笑ってしまった。
香奈はさっきから涙が止まらないみたいで、ハンカチを半分に折って両目にあてている。明日、目が晴れていないか心配だ。
「どうなるかなーと思ったけど、無事終わってよかったなー」
リンさんが背後から近づいてきて、彰の肩に腕をまわす。彰はものすごく嫌そうな顔で腕を振り払うと、すぐさま距離をとった。そのまま、猫のようにリンさんを威嚇する。
「お前、ほんっと何しに来たわけ? もっと空気よめよ。弱ってる人間いじめて楽しいのかよ。冷徹非道人間」
「えーでも、結果的にはよい感じになったし。終わりよければすべてよしってな!」
リンさんは開きなおって陽気に笑う。その態度に彰は盛大に舌打ちした。
「そもそも、マーゴ連れてきたのは俺だってことを考えたら、一番の功労者は俺じゃね?」
「ぶん殴るぞ」
真顔で拳をつくった彰を見て、リンさんは冗談。冗談。といいながら彰から距離をとった。この人本当に調子がいいというか、なんというか……。
「でも、びっくりした。こんなことってあるんだね」
「……珍しい例なんですか?」
「そりゃそうだ。こんな面倒事が重なることなんて早々ねえよ」
近づいてきたマーゴさんとクティさんが口々にいう。
日下先輩たちが落ち着くまでは戻れない。と2人も察しているらしく、暇つぶしにきたのだろう。
クティさんの言葉に、香奈が何か言おうと口を開くが、しばし悩んでから口を閉じた。
今回の件で、香奈も色々と思うところがあったようだ。
「幽霊に条件が付くなんてことが、滅多に起こることじゃないし。今回は日下さんが全く感じなかったから、ややこしくなっちゃったのかもね」
吉森少年と抱き合って泣いている日下先輩を見る。たしかに、日下先輩に霊感あったら、もっと早く唯ちゃんと話せただろう。
「クティさんは、この結末、早くから見えてたんですよね」
「まあな」
少し拗ねた様子のマーゴさんの言葉に、クティさんはあっさり答えた。
「幽霊でも死ぬ間際の分岐ぐらいは見えるからな」
「だったら、教えてくれば……」
「アホか。教えたら新たな選択肢が増えて、余計に面倒になるだけだって前にも言っただろうが」
クティさんはそこで言葉を区切って、日下先輩を見つめた。
「それになあ、人に教えられた最善なんて、どんなに良い結果だろうと納得いかねえんだよ。
初対面で、死んだあなたの幼馴染はあなたに伝えたいことがあります。話をしてみましょう。なんて言われて、お前信じるか?」
「危ない人かなって思う」
真顔で答えるマーゴさんに、クティさんは無言でデコピンをした。さっきのはマーゴさんが悪いので、同情しない。
「とにかく、今回の事件は、あのガキが自分で納得しなきゃどうにもならねえ。
お前の選んできた道は最善だった。って俺が言ったところで、あの状態で信じるわけねえだろ」
「最善って……日下先輩の選択がですか?」
私の言葉にクティさんは、あっさり頷いた。
「これをアイツに教えるかどうかはお前に任せるけどな、谷倉唯の死亡は事故死じゃねえ。寿命だ」
「は?」
今までの流れを覆す発言に、私は次の言葉が出てこない。
「未来は選択で変わるけどな、どうしたって変わらねえものがある。それが運命とか、寿命とかそういうもん。何を選んでも、絶対に同じ道、袋小路にたどり着く。そいうもんがあるんだよ。
谷倉唯の場合はな、8歳で死ぬってことが運命づけられてた」
「ってことは、もし日下先輩がケンカしなかったとしても……」
「何らかの形で死んでたな。選択しだいは、えぐいのもあるぞ」
そのえぐいのに関しては、聞かない方がよさそうだと私は視線をそらした。
「だから、即死は最善ルートだ」
クティさんの言葉に、私は再びクティさんへと視線を戻す。
「死んだことも気付かないくらい、痛みもなく死んだ。最終的には心残りも消えて、満足して成仏した。谷倉唯の人生として最高の幕引きなんだよ。
おかげで日下美幸はずいぶん苦しむことになったみてぇだけどな。でもまあ、苦しんだ分アイツの未来は今日開けた」
「……クティさん占い師みたいなこといいますね」
「副業だからなあ」
何でもないようにいうクティさんに、私は目を丸くした。それは冗談なのか、本気なのか。どっちだ。
分岐を見るクティさんならば占い師くらいできるだろうが、後が怖い気がする。お金だけじゃなくて、その先の幸せとか全て持ってかれそうだ。
「まあ、そういうわけだから。今回の件は日下美幸にとっても谷倉唯にとっても最善ルートだ。ついでに吉森修についてもな」
「……クティさん。ちゃんと名前覚えられるんですね……」
今の流れでそれをいうか。とクティさんに思いっきりにらまれたが、アイツとか小さいの大きいの。と言ってたクティさんが、名前を呼んでいるのは違和感しかない。
実はもっと前から気になっていたが、雰囲気的に突っ込めなかったのだ。
「クティさん、名前覚えるの得意。っていうか分岐見れば名前はすぐわかるんだ。ついでにいうと個人情報も」
「えっ!?」
「悪用する気ねえし、興味もねえから心配すんな」
クティさんはどうでもよさげに言った。
人間ごとき。というクティさんだし、言葉通り人間ごときに興味はないだろうが、知らない間に情報握られている。と聞くと複雑な気持ちだ。
そうか、過去と未来の分岐が見えるということは、今までの人生も見えるのだ。
他人からすると恐ろしい能力である。
「……ってことは、彰のことも……」
そう呟いた瞬間、クティさんがギクリと体を硬直させた。まずい。とクティさんの表情が青ざめる。
何だその反応。と思っていると、マーゴさんがのん気な声を上げた。
「あっそういえば、幽霊に条件があるっていうので気になってたんだけど」
「まて、マーゴ!」
マーゴさんの言葉にクティさんが焦った声をあげる。だが、マーゴさんはクティさんの焦りの声に気づかず、少し離れていたところでリンさんとじゃれていた彰に話かけた。
「君の後ろにいる幽霊も条件があるの?」
マーゴさんの言葉に、リンと彰が固まった。
クティさんは顔を覆って、あーもう最悪……。と呟く。
それからギロリと私をにらみつけた。えっもしかして、さっきの私のつぶやきでルート確定ですか……。えぇ……。
「幽霊……?」
彰が何をいっているんだと、眉をよせてマーゴさんを見る。
「マーゴ何言ってんだ! 彰の後ろに幽霊なんていないだろ!」
リンさんが今までにない焦った様子で、彰の前にでてマーゴさんから彰を隠した。リンさん、それは何かあるっていてるようなものだ。焦りすぎて冷静な判断が出来なくなっているのか。もしかしたら不意打ちに弱いのかもしれない。
マーゴさんは、彰とリンさんの反応に首をかしげた。
「いや、確かに分かりにくいですけど、いますよね? クティさんが怯えてたから何かと思って、今日ずっと見てたんですけど、彰さんが弟の話してた時にちょっと見えて」
「弟……?」
彰の目が見開かれる。それに気づかず、マーゴさんは笑顔で話をつづけた。
「あっもしかして、亡くなった弟さんかな? 髪長いけど、顔をよく見ると彰さんそっくり……」
彰は最後までマーゴさんの言葉を聞かずに、勢いよく振り返った。
鬼気迫る様子で背後を見つめ、何かを探すように、目を凝らす。
「トキア……? いるのか?」
彰が震える声で語りかけた。聞いてるだけで泣きたくなるような、悲痛な声。彰らしからぬ弱々しい声に、私は息がつまる。
「なあ、トキア! お前、まだ成仏……!」
彰の言葉はそこで途切れた。
リンさんが彰の前に回り込んだかと思えば、素早く彰の胸元を殴る……いや、胸元に手を入れた。そうとしか表現ができない。
リンさんの腕の先端は、彰の体に吸い込まれるように消えていた。信じられないことだが、彰の体の中にリンさんの手が入っている。
彰は驚きと、苦痛で顔をゆがめ、リンさんをにらみつける。何で。と彰が小さくつぶやいた瞬間、リンさんは彰の体から手を引き抜いた。
リンさんは手に何かを持っていた。形容しがたいそれは、子狐様が作り出した狐火ににているが、もっと儚く、小さかった。
手を引き抜かれた瞬間に崩れ落ちた彰を抱き留めながら、リンさんは彰から引き抜いた何かを口に運ぶ。
そのまま口に放り込んで飲み込む。まず……。と一瞬だけ泣きそうな顔でつぶやいた。
リンさんが食べるのは感情だ。といっていたクティさんの記憶がフラッシュバックする。
「おい、マーゴ。空間とけ」
状況についていけていないマーゴさんに、クティさんは彰を抱き上げると冷たい口調でいった。
「え?」
「聞こえてねえのか。早くしろ。ちんたらしてると食うぞ」
本気の声音に、マーゴさんは慌ててパンっと手を合わせる。
状況の変化に、事態を見ていなかった日下先輩と吉森少年が戸惑った顔をする。気づいていても説明することが出来ない。
私だって何が起こったのか、理解が追いついていないのだから。
空間が歪み、かすかな眩暈と浮遊感の後、私たちは元の世界へ戻ってきた。
交差点を人がゆっくり通り過ぎ、立ち尽くす私たちに不思議そうな視線を向けてくる。車の音や人の声。いつも聞いている馴染んだ音が、ひどく遠い。
「さっきのは彰を連れて帰んなきゃいけねえから、大目に見てやる。クティ、もう二度と余計な真似しないようにしつけとけよ」
リンさんはそこで言葉を区切ると、今までにない低い声でつげた。
「次は食う」
「は、はい!」
リンさん本気だった。クティさんは頭を下げ、ダラダラと冷や汗を流している。マーゴさんの顔も蒼白だ。直接視線を向けられたわけでもないのに身がすくみ、ダラダラと冷や汗が流れる。
心臓をわしづかみにされたような緊張感に、香奈が青ざめ、離れたところにいた日下先輩と吉森少年まで身をすくませる。
関係ない通行人が、リンさんの怒気にあてられた距離をとった。
私たちの周囲に不自然な空間が空き、何事? さあ? という囁き声が聞こえる。
リンさんはフンッと不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ざわつく周囲も、私たちのことも関係ないとばかりに歩きだした。
イラついた態度だというのに、抱きかかえる彰の扱いだけが丁寧なのが、やけにアンバランスに見えた。
「……お前、彰さんに感謝しろよ……。彰さん気絶してなかったら、頭から丸のみだぞ……」
緊張が解けたのか、青い顔でズルズルとその場に崩れ落ちるマーゴさんに、クティさんは同じく青い顔で胸の辺りを抑えていった。
マーゴさんは、うん……と力なく答える。
「ど、どういう……こと……?」
私の問いかけに、クティさんはギロリと私をにらみつけた。ビクリと身をすくませると、一瞬気まずげな顔をして、それからため息をつく。
「お前は何も知らねえから、分かんねえのも仕方ねえけど、世の中には触れちゃいけないものってのがある。
マーゴも聞いとけ。これから彰さんに関わるなら、お前もだ、坂下香奈」
クティさんの言葉に、震えていた香奈が恐る恐る近づいてきた。
「お前さっき、俺の能力だったら彰の事も分かるのかって思っただろ?」
クティさんの言葉に私は頷く。意図しなかったがそれがきっかけだったのだとは、なんとなくわかる。
「結論だけいうとな。俺は彰さんの分岐はよめねえ」
予想外の言葉に私と香奈は目を見開いた。
「俺が分岐を見えるのは俺より格下。リンさんとか、お前らがいつも世話になってる子狐様なんかは見えねえ。
つまり、アイツ、佐藤彰は俺よりも格上だ」
それは文字通り、彰が人間ではないということを表していた。
「何で……」
「それは俺からは言えねえ。リンさんに今度こそ食われる」
そういったクティさんは青ざめていて、冗談ではなく本気なのだと分かる。
先ほどのリンさん見る限り、リンさんは次があったら容赦なくクティさんもマーゴさんも食べるだろう。
同族だとか後輩だとか、そんな粗末な問題、彼には関係ない。
「じゃあ、さっきの彰君は食べられたの?」
香奈が青ざめながら両手を合わせて、クティさんに問いかける。
言われて初めて、その事実に気づいた。それほど私も動揺していたということか。
「記憶消したんだろ。精神的ダメージを減らすために」
「リンさんが食べるのって感情じゃ……そんなことできるんですか?」
「リンさんは俺たちとは格が違う。感情にはそれに伴う記憶もある。感情食うと同時に、食われた感情に関係する記憶も消える。
今回は弟の幽霊が後ろにいる。って話だけ消したんだろ」
厄介だよなあ……。と呟くクティさんの様子からいって、普通ではない力なのだとは分かった。
「じゃあ、もし私たちが彰君に不都合だと判断したら……」
「アイツからお前らの記憶だけ消すことも、その逆もリンさんは出来る」
クティさんの言葉に私は息をのんだ。なんてチート能力だ。
「だから気を付けろ。あの人がお前に優しいのは、アイツがお前らに心を許してるからだ。
お前らが許されているいるわけじゃない」
クティさんは念を押すように私と、香菜を見た。
勘違いするな。根本的に私たちとは違う存在だ。普通に見えても、害がないように見えても、そうじゃない。そう見せかけているだけなのだと、クティさんは私たちの心に刻み込む。
「……最後に、1ついいですか?」
私の言葉にクティさんは眉をひそめた。
それからため息混じりにつぶやく。お前ならそれを選ぶよな……と。
クティさんに見透かされた選択が一体どんな未来に向かっているのか、私には分からない。
今までは最善だった。とクティさんは言っていた。だが、今回もそうとは限らない。
それでも私は聞かずには、いられなかった。
「彰君の後ろには、弟がまだいるんですか?」
いつの間にか近づいていた日下先輩と吉森少年が息を飲む。
クティさんは目を細め、それからハッキリと答えた。
「いる。アレは成仏するとか、そういうレベルの可愛いもんじゃねえ」
クティさんはそういうと、リンさんが歩き去った方向を見つめる。
「何も知らずに置いてかれるのと、全てを知ったうえで置いてくのと、どっちが辛いんだろうな」
説明不足のクティさんのつぶやきは、彰と弟の事なのだと、かろうじて私にもわかった。
「どっちも辛いでしょ……」
一緒にいるのが一番に決まっている。置いてかれても、置いていっても、一緒にはいられない。
どんなに相手を思っていたって、伝わらなければ意味がない。
彰の反応を見ると、伝わっているとは思えない。きっと日下先輩と唯ちゃんみたいに……もしかしたらもっと複雑に、すれ違っているかもしれない。
私の言葉にクティさんは驚いた顔をして、それから苦笑した。
「全く、その通りだ……」
その言葉が彰の現状の答えだ。
彼らは今もすれ違い続けている。
「人のお節介してる場合じゃないでしょ、バカ彰」
思った以上に泣きそうな声は、空の移り変わりとともに夕日に溶けて、彰には到底届きそうになかった。




