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狐のおつかい  作者: 黒月水羽
2章 理想の彼女
57/194

20 理想の結末

 百合先生が事前に準備していた紐で男たちを縛り上げ、リーダーの男だけ連れて私たちは猫たちがいる場所へと向かった。

 小宮先輩は見ているのもつらくなるほど落ち込んで、私が何度慰めの言葉をかけても全く聞こえていないようだ。

 ここに来れば会えると信じていただけあって、いないという事実に打ちのめされている。


 百合先生はリーダーの男をナイフで脅しつつ、チラチラと私たちの方を振り返る。完全にやってることが教師ではなく、危ない人だが、突っ込める空気でもない。

 唯一気にせず言えそうな彰は、小宮先輩の登場の後すぐに「電話してくる」と険しい顔で言ってどこか行ってしまった。

 残された私たちはとりあえず、猫たちを確認しようということになったのだ。


「本当にいなかったんですか?」

 

 猫なんていっぱいいるし、白猫ばかり集められているという話なら余計に見分けがつかないはずだ。気付かなかっただけなのではと思って問いかけると、小宮先輩は力なく頭を振った。


「いなかった……。友里恵が念のため友里恵が大好きなアイスも持ってきたんだ。でも反応がなかった」

「アイス……」


 そういえば友里恵ちゃんはアイス好きだと言っていた。そのときは人間相手だと思っていたから気にしなかったが、猫でアイス好きというと特徴的だ。しかもここにいるのは野良猫。友里恵ちゃん意外にアイス好きな猫がいる確率は相当低いはず。


「捕まえた猫は皆ここにいんだよな?」


 百合先生がリーダーをナイフで脅しつつ、低い声で問い詰める。男は青い顔で頷いた。

 やはり、やっていることが完全にヤクザのそれだ。この現場が保護者にばれたら百合先生の解雇、待ったなしである。


「猫は皆、同じ部屋で世話をしている」


 蚊の鳴くような声でリーダーは答える。

 怯え切っている様子からいって嘘ではないだろう。百合先生もそう思ったのか不機嫌を隠しもせずに舌打ちした。

 

 すべて上手くいくと思っていたのにとんだ落とし穴で戸惑っているのは皆だ。

 だが、事態を一番把握しているであろう彰が今ここにはいない。慌てていたから、何かを確認しにいったのだろうが、それにしたって説明くらいほしいものだ。


「七海ちゃん!」


 香奈の声が聞こえて顔を開けると、沢山のゲージの前で香奈と吉森少年が所在なさげに立っていた。


 がらんとした広い空間に、猫のゲージが何個も並んでいる。中にいるのは全員白い猫。このあたりにこんなに白い猫がいたというのが驚きだ。

 ゲージ自体はそれほど小さくなく、中には猫用のクッションやら、水入れ、おもちゃまで入っているゲージもあり中々に快適そうだ。


 寝床として使っているゲージのほかにも、柵で囲われた遊び場らしきスペースがある。そこにはキャットタワー、砂場、ダンボールなど、猫が喜ぶものが並んでおり、閉じ込められているどころか予想外の好待遇だ。


 ゲージや遊び場にいる猫たちも怯えるどころかリラックスした様子で、誘拐して閉じ込められているようにはとても見えない。

 必死になって探していたことを思えば、脱力するが猫にはそんなことは関係ないだろう。大事にされているようで何よりだと思うほかない。


「アイス……反応しないか試してみたけど、一匹も……」

 

 香奈が泣きそうな顔でいう。その手には有名な、300円ほどする市販のアイスが握られていて、私は頬が引きつった。

 友里恵ちゃんが好きっていうアイスはまさか、それなのか。人間でも気軽に買えない値段のアイスがまさかの猫用。

 溺愛するにも程があるぞ。


「本当に、ほかに猫はいないんだよな?」


 百合先生が先ほど以上に眼光を鋭く、どすを聞かせて問いかける。やっぱり教師には見えない。客観的にみたらどう見ても百合先生の方が悪役で、リーダーは泣きそうな顔で首を左右に振っている。


「いないです。面倒見ろっていわれた猫は皆ここですし、俺たちは面倒見ろっていわれてただけで、ほかに猫がいたとしても分かりません」

「ってことは、捕まえるのは別の人がやってたの?」


 私が声を上げるとリーダーは大きく頷いた。最初は強面の男性だと思っていたが、泣きそうな今の顔を見ると、可哀想にしか見えなくて良心が痛む。それでも確認しないことには話が進まない。


「本当に面倒見ろって言われただけで、理由も目的も何も知らないんです。ただ人に雇われて……」


 男が嘘をついているようにも思えず、私と百合先生は顔を見合わせて眉を寄せる。


「つまり、黒幕は別にいるってことですか?」


 吉森少年がゲージ越しに猫と戯れつつ、首を傾げた。やけに猫の方が慣れているのを見るに、義達は無事に発見できたようだ。

 本当に空気が読めない。


「友里恵だけ、別の場所に確保してたってことか……?」


 ストーカーが白猫を集めたのは友里恵ちゃんと無関係ではないだろう。でなければ、わざわざ白猫ばかりを捕まえる意味が分からない。

 だが、白猫を捕まえた理由も、白猫と友里恵ちゃんを別々にした理由も結局分からずじまい。

 

 所在なさげに立っているリーダーや、縄で縛られている男たちにいくら問いただしてもこれ以上のことは分からないだろう。

 ここまでやって手詰まりという事実に私は奥歯をかみしめる。


「思いのほか、いっぱいいるね」


 場にそぐわない明るい声が聞こえて、リーダー。そして何故か吉森少年がビクリと肩を揺らす。

 そして、先ほどまでのんびりと寝ていた猫たちが目を見開いて体を起こし、一斉に彰に向かって毛を逆立てた。

 シャーという声が部屋の中に響いて、私は戸惑う。先ほどまでとの変わりように、落ち込んでいた小宮先輩ですら驚いて顔を上げた。


「お前、ほんと動物に嫌われるな……」


 心なしか落ち込んだ顔で立っている彰に、百合先生が哀れみの言葉をかける。

 猫たちの威嚇対象はあきらかに彰に向いていて、動物って悪いものと良いものが本当によくわかるんだなと私は感心した。

 そういえば子狐様も初対面から彰を毛嫌いしていた。神様と動物を一緒にしたりしたら怒られそうだが、一応妖狐と言われるものだし、連想するのは許してほしい。


「お兄さんさー……」


 いつもより低い不機嫌な、いや、落ち込んだ声で彰がリーダーに声をかける。

 男は大きな体をびくつかせ、こわごわと彰を見ていた。吉森少年と言い、トラウマを植え付けるのがうますぎる。


「今日はごめんね。僕ら用事すんだから帰る」

「はあ?」


 彰の言葉に男だけでなく、全員が驚いた。猫のシャーという威嚇の声だけは「早く帰れ!」と言っているようだ。彰もそう思ったのか、先ほど以上に顔をしかめた。


「ケガした人にはちゃんと治療費だすから。あと、今回の件で契約料もらえないなら、ちゃんと払うよ」

「は、はあ……」


 男は気の抜けた声を上げた。一方的にタコ殴りにしてきた相手からの言葉なのだから当たり前だ。私だって意味が分からない。


「こっちの勘違いって言うか、調査不足っていうか……とにかくごめんね。納得いかないっていうなら、もっと出すし」


 そういいながら彰は男に近づいて、縛り上げた紐を引きちぎる。

 解くではなく引きちぎるだ。比喩表現でもなんでもなく、彰は当たり前のように、あっさりと紐を引きちぎった。


 それを見て男がますます青ざめる。そんな、恐れ多いです! といったのは本心からだろう。

 いくらお金をもらえるといっても、こんな得体のしれない鬼みたいなやつからは貰うなんて、後で何をされるか分からない。


「遠慮しなくていいのに……」


 彰はそうつぶやきながら、ポケットから名刺を取り出し、男に渡した。


「連絡はこっちにして。佐藤彰に連絡するように言われたっていえば通じるから」


 男は彰から渡された名刺をはあ。と気の抜けた声を上げながら見つめ続けている。思考が事態に追いついていないようだ。

 それは男だけでなく私も一緒で、彰が何をしたいのか全く分からない。


「あとさー猫たちの件だけど」


 その言葉に、ぼんやり名刺を眺めていた男が顔を上げた。


「もし情がわいてこのまま育てる気があったら、それも相談して」


 最後にニヤリといたずらっ子のように笑うと彰は男に背を向ける。

 そのまま、「行くよ」と視線で私たちに告げると、さっさと歩きだしてしまった。

 百合先生が顔をしかめながら、小宮先輩を促してあとに続く。吉森少年は義達と、去っていく百合さんを交互に見てから、リーダーに「後で義達迎えにくるから!」と叫んで走り出す。

 最後に香奈が戸惑った様子でついていき、残された私は未だに思考が付いて行かずにぼんやりと皆の後姿を見送る。


 やっとこのままだと置いて行かれる。と脳が理解し、動き出した私は何となく突っ立ったままの男を見た。

 男は以前、呆然とした様子で名刺を見つめているが、先ほどよりも表情は生気が宿っているように見えた。いや、決意か?


 彰がいなくなったと同時に威嚇をやめた猫たちが、男に向かってにゃーにゃ―と鳴く。その声は親に餌をねだる子猫の声と重なって、私は彰の行動の一部をやっと理解した。

 どこで何を察したのか。本当に佐藤彰という男は心が読めるのではないかと私は顔をしかめる。


 男の今後の行動が何となくわかってしまって、くすぐったい気持ちになった私だが見える距離に香奈たちの後姿がないことに気づいて、慌てて走り出した。


 彰は廃ビルの入り口で不機嫌そうに私を待っていた。おいて行かれてはいなかったことに安堵するが、彰はわざとらしく舌打ちする。

 

 縛られた男たちはすでに縄を解かれ、遠巻きに彰を見つめている。皆が怯えた様子で小柄な少年を見ている図は異様だが、あれだけの実力差を見せられては仕方ない。

 しばらく皆、悪夢に苛まれそうだ。


「他の皆は?」


 見える範囲には男たち以外には彰しかいない。

 皆先にいってしまったのか。だとしたら、彰だけ私が来ないことに気づいて待ってくれたのか。

 変なところで、妙な優しさを見せるから反応に困る。


「ナナちゃんだけ、置いてって何かあったら目覚め悪いでしょ」


 彰はそういうと、さっさと歩きだす。私は一応男たちに頭を下げてから後を追った。帰り際、去っていく彰を見て心底ホッとした顔をした男たちを私は見逃さなかった。

 本当にトラウマ植え付けすぎである。


「どこ行くの?」

「公園」


 私の問いに彰は視線も合わせずにそっけなく答える。

 公園というと小宮先輩が友里恵ちゃんと会っていた公園だろうか。それ以外に私と彰が共通で知っている公園などない。


「何で公園?」

「友里恵ちゃん公園に戻ってるってさ」

「えっ」


 私は彰の顔をまじまじと見るが、彰は相変わらず不機嫌な顔で前を見ている。素の彰は仏頂面も多いが、ここまで不機嫌そうなのも珍しい。


「どういうことなの……」

「それは、公園で説明する」


 それを最後に彰は本当にだんまり決め込んで、私がいくら呼びかけても答えることはなかった。おかげで私は、落ち着かない気持ちで足早に公園を目指すことになったのだ。


***


 公園につくと人だかりができていた。

 友里恵ちゃんについて聞き込みに来た時にあった、近所の人たちが楽し気に話している。その輪の中心にいるのは小宮先輩。その腕には白い猫がしっかりと抱きかかえられており、私は驚いた。


「ナナちゃん! 友里恵ちゃん見つかったの!」


 私に気づいた香奈が満面の笑みを浮かべて手を振る。

 その隣には、嬉しそうな吉森少年と、納得いかない顔をしている百合先生がいた。

 私もどちらかと言えば納得いかない側で、あんなに探した友里恵ちゃんがあっさり帰ってきた事実に思考が追いついていない。


「友里恵ちゃん見つかったって、本当に?」

「本当! 友里恵ちゃん誘拐されたわけじゃなかったんだって」


 どういうことかと驚くと、香奈の声に私たちが来たことに気づいた小宮先輩が輪から抜けて近づいてきた。

 腕には大切そうに白い猫を抱いている。小宮先輩に抱かれて怖がらないどころか、安心しきっている。写真で見た猫と同じだし、友里恵ちゃんに間違いないのだろう。


 やっと小宮先輩と友里恵ちゃんが再会できたという事実が、じわじわと浸透して私は小宮先輩に駆け寄ろうとした。良かったですね! とその手をとって叫びだしたい気持ちだった。

 けれど、寸前のところで行動には移せず、私は不自然に動きを止める。

 小宮先輩の斜め後ろに、見知らぬ女性の姿を見つけたからだ。


 その女性を見て私は再び驚いた。

 長くきれいな黒髪と、白い肌に、小柄な体系。手足は細く、スタイルがいい。顔立ちは優し気で、大人しく、絶滅したと思われた大和撫子を沸騰させる、白いワンピースを着た清楚な女性。

 

 小宮先輩の理想を体現したような存在がそこにいた。


「佐藤君、香月さん。心配おかけしました。無事に友里恵、見つかりました」


 そういって小宮先輩は友里恵を軽くかかげる。が、当の友里恵ちゃんは彰を見た瞬間に、シャーと歯をむき出した。

 本当にこの男、動物に心底嫌われるらしい……。


「えっと……普段はこんなことないんですけど……」

「気にしないでください。僕、動物に嫌われるんで……」


 弱々しい表情で彰が笑う。演技ではなく素で落ち込んでいる様子を見ると、可哀想に思えてきた。

 どれだけ完璧に見える人間にも欠点というものはあるらしい。


「友里恵ちゃん、どこにいたんですか?」

「それが、玲菜さんがケガした友里恵を保護してくれてたんです」


 小宮先輩の言葉に隣の女性が頷いた。


「小宮先輩の知り合いですか?」

「さっき会ったんだ。一週間前に公園に来たら、偶然ケガした友里恵を見つけたらしくて。元気になるまで面倒見てくれていたんだって」


 優しい人に見つけてもらってよかったなと小宮先輩は笑顔で友里恵ちゃんの喉をなでる。友里恵ちゃんは目を細めて嬉しそうに喉を鳴らした。


「じゃあ、誘拐でもなんでもなく……」

「人慣れしてますし、毛並みがとてもきれいなので、きっと誰かが可愛がっている子なんだろうなと思って、元気になったら返すつもりではいたんです」


 黙って小宮先輩の後ろに立っていた玲菜さんが申し訳なさそうな顔をした。


「思いのほか時間がかかってしまって、飼い主さんに連絡取ろうにも誰だかわからなくて、とても心配させてしまったようで……」

「気にしないでください! 玲菜さんがいなかったら友里恵は死んでいたかもしれませんし、玲菜さんみたいな優しい方に面倒見てもらえて喜んでます」


 なあ、友里恵。と友里恵ちゃんに声をかける小宮先輩は上機嫌だ。タイミングよく友里恵ちゃんも「にゃー」となく。その通りだと言っているようで、ますます小宮先輩は嬉しそうに破顔した。


「友里恵も玲菜さんに本当に懐いてるし、大事にしてもらったんだなって分かります」

「そんなことないですよ。たまたま、友里恵ちゃんの好きなものが分かって、それをあげたら懐いてくれたので、餌付けしたようなものです」


 玲菜さんは困った様子で笑った。自然と懐かれたならともかく、動物を餌で釣ったとなると複雑な気持ちになるのは私もわかる。


「でもよく、友里恵がアイスが好きだって分かりましたね」

「偶然ですよ。友里恵ちゃんが好きなアイス、私も好きなので」

「あれ、本当においしいですよね。俺も好きなんです」


 楽し気に笑う小宮先輩を見て、玲菜さんがほほ笑む。

 黙っていても美人だがほほ笑むとさらに絵になる。

 小宮先輩と友里恵ちゃんの話で盛り上がる姿を見るに、この人も相当な猫好きらしい。友里恵ちゃんを見つめる目も砂糖菓子を煮詰めたような甘ったるい。小宮先輩に引けを取らない溺愛っぷりだ。


「大騒ぎしたわりに、こんなオチ……」


 私は何ともいえない脱力感に襲われて、乾いた笑みを浮かべた。

 友里恵ちゃんが無事に見つかった事実が一番なのだが、無駄に警戒していた自分がバカみたいに思える。


「彰が不安あおるようなこと言うからだよ」


 単純な話だったというのに複雑な事態に持って行った彰に文句をいおうと、私は彰へと視線を向けた。


 そういえば、公園に来てからというもの彰は何も言わない。真っ先に何か反応しそうなものなのに、おかしいな。そう思った私は、やけに険しい表情で小宮先輩。いや、正確にいうと玲菜さんを見ている彰を見て、固まった。


「失礼ですが、玲菜さん。苗字は?」


 彰が固い口調で問いかける。

 猫かぶりは彰の得意分野だというのに、警戒していると隠しもしない態度と声、鋭い目つきは彰らしくなかった。


 小宮先輩は戸惑った顔で彰を見ていて、声をかけられた玲菜さんはかすかに身をこわばらせる。

 けれど、すぐに柔和な笑みを浮かべた。威嚇してくる相手に対しても笑みを絶やさない姿に、本当に優しくて心の広い人なのだと感心する。

 風に吹かれて長い綺麗な髪が揺れ、姿勢のよい立ち姿が上品に見える。

 同性目線から見ても本当に素敵な女性だ。


「重里です」


 そう思った気持ちは、玲菜さんの苗字を聞いた瞬間、崩れ去った。

 いきなり崖っぷちから突き落とされたような、不安定な浮遊感に私は背筋が凍り付く。


 重里。その名前を私は確かに彰の口からきいた。白い猫を廃ビルに集めるように指示したストーカーの名前。


「えっと……何か?」


 反応しない私たちに玲菜さん小首をかしげた。その表情は美しく、それだけに鳥肌が立つ。

 その瞬間、所作も姿も全てが完璧に整っているが、目が冷え切っていることに気づいてしまった。


「いえ、知り合いに似ていたものですから、気になっただけです。勘違いでした。申し訳ありません」


 彰がよそ行きの笑顔で答える。

 玲菜さんは相変わらず全く感情をのぞかせない目で彰を見て「そうでしたか。気にしないで下さい」と答えた。

 冷たい目にさえ気づかなければ完璧だ。


 数秒、彰と玲菜さんが見つめ合う。お互いに腹の内を探るような攻防は、友里恵ちゃんをなでることに夢中な小宮先輩が気付く前に一瞬で終わる。

 小宮先輩が玲菜さんに視線を向けると、玲菜さんは綺麗にほほ笑んだ。その途端に玲菜さんの目が柔らかくなる。先ほどまでの凍った目とは思えないほど、甘く柔らかいその目を見て、私は悟る。


 この人が先ほど甘い目で見ていたのは友里恵ちゃんではない。小宮先輩だ。


「僕のことはいいので、ほかの方と話してください。皆さん心配していたんでしょう」


 彰がにこりと笑って、輪の中に戻るようにとうながした。

 これ以上、ここで玲菜さんと腹の探り合いをしても意味がないと思ったのかもしれない。

 正直、ぞわぞわとした悪寒が消えない身としては有り難い。すぐにでも目の前の得体のしれない女性から離れたかった。


「佐藤君、今回のことは本当にありがとうね」

「いえ、結局、僕は何もしていません。小宮先輩を不安にさせるようなことばかり言ってしまいましたし」

「でも、それは俺と友里恵のことを本気で心配してくれたからでしょう」


 小宮先輩は愛おし気に友里恵ちゃんを見て、頭をなでる。


「それに、佐藤君が公園に行こうって言ってくれたおかげで、また友里恵と再会できたし玲菜さんとも会えたし」


 小宮先輩は少し照れた様子で玲菜さんの顔を見る。そんな小宮先輩の態度に玲菜さんは本当に嬉しそうに微笑んだ。


 ここだけ見たらとても初々しく、美しい光景だろう。顔立ちの整った男女が2人。猫をきっかけに出会い、ひかれあう。恋愛ものとしてはベタかもしれないが、王道といえる展開だ。

 だというのに、先ほどから鳥肌が止まらない。


「今度、お礼させてね」


 小宮先輩は笑顔で、輪の中に戻っていった。玲菜さんは当然のようにその後ろに続く。

 先ほどまで存在しなかったというのに、そこにいるのは当然とばかりに自然に、堂々と付きそう姿が、どうしようもなく気持ち悪い。


「ねえ、重里って……」

「ストーカーの苗字。っていうか、重里玲菜っていうのがストーカーの名前」


 さらりと彰は答えた。顔を見ると、彰らしからぬ忌々し気な顔で、しまいには堂々と舌打ちをする。

 小宮先輩がいなくなるまで我慢していたらしい。


「ってことは、あの人……」

「間違いなく、小宮先輩をストーカーした犯人だよ」


 小宮先輩の隣にたつ、小宮先輩の理想を体現した女性――玲菜さんを見る。その姿とストーカーという言葉が全く結びつかなくて眩暈がした。


「冗談じゃ……」

「こんなところで冗談いってどうするの。いうんだったらもっと面白いこというし」


 彰はそういって、さらに舌打ちした。


「僕はさあ、ストーカーが姿を消したのって油断させて、好機を狙うつもりだと思ってたんだよ。友里恵ちゃん誘拐だって、小宮先輩の精神を不安定にさせて、自分を受け入れてもらいやすくするためだって」


 それに関しては私も同じことを思っていたので、黙って頷く。


「でも違ったんだよ。小宮先輩、ファミレスでいってたこと覚えてる?」

「ファミレス?」


 今朝、作戦会議した時のことを思い出す。そんなに時間がたっていないのに、今までの時間が濃すぎて上手く思い出せない。小宮先輩は何を言っていたんだっけ?


「吉森君にさ、理想の彼女像語ってる、にいさんを目撃した人がいたんじゃない? って言われたとき、小宮先輩いったでしょ。聞いたとしたらストーカーだけだって」

「そういえば、言ってたね」

「ナナちゃんそれ聞いてどう思った?」


 彰がじっと私の目を見上げて問いかけてくる。私は彰の眼力に戸惑いつつ、必死に記憶を探り寄せた。


「小宮先輩の理想像と自分が違いすぎるって気づいて諦めたとしたら、素直すぎ。って思ったかな」


 そう言ったところで、私は彰の言わんとしていることに気づいて、いやでも、まさかと

自分の思考を否定するために彰を見た。


「わかる。まさかって思うよね。でもさ、そのまさかが当たってたんだよ」


 彰は皮肉気に口元をゆがめた。


「ストーカーの重里玲菜さんがね、姿をくらましたのは小宮先輩を油断させるためじゃない。小宮先輩がつぶやいた理想の彼女になるためだったんだよ」


 私は人の輪の中で笑いあう小宮先輩と、その隣に寄り添う玲菜さんを見た。


「ストーカーしてた時の写真見たけどさ、もう別人も別人。当時の彼女知ってる人にあったって、同姓同名の別人だと思うだろうね」


 それは当然、小宮先輩も含まれる。

 小宮先輩の場合、ストーカーとしての彼女しか知らないから、余計に今の玲菜さんとは結び付かないだろう。今の玲菜さんは女性が苦手になった小宮先輩が救いを求めた、理想の女性なのだから。そんな理想の存在が、女性が苦手になった原因なんて考えもしない。


「じゃあ、友里恵ちゃんを誘拐したのは?」

「小宮先輩に自然と近づく口実を作るためだろうね。溺愛している猫を助けてくれた恩人を小宮瀬先輩が邪見にするはずないし、友里恵ちゃんが懐いたなら尚更」


 小宮先輩の腕から離れ、玲菜さんにだっこされている友里恵ちゃんを見る。小宮先輩にだっこされていたときと同じく安心しきった様子を見るに、嘘ではなく本当にかわいがったのだろう。

 小宮先輩に好かれるために。


「他の白い猫を集めたのは……」

「小宮先輩に限ってないとは思うけど、別の猫に執着して友里恵ちゃんへの興味がなくなったら意味がないから、保険ってところじゃないかな」


 彰の口調がだんだんと投げやりになっていく。


「でも、小宮先輩を見張ってた男の人いたでしょ。あれは!?」

「重里さん家が雇った人間だって。小宮先輩の動向探ってたんだろうね。友里恵ちゃんになつかれる前に小宮先輩に何かあったら、計画も何もないし。

 友里恵ちゃん餌付けして誘拐したのも、雇われた人だと思うよ。いざって時に言い逃れしやすいように、わざと柄悪い奴らばっかり雇ったみたいだね」

「それ、全部、彰の妄想っていうことは……?」


 最後の望みをかけて私は彰に問いかける。彰にどんな罵倒をされたとしても、この問いかけを肯定してくれるなら、今ならすべて受け入れられるだろう。

 そう思って、一縷の望みをかけて問いかけたが、彰は私の目を見てハッキリ告げた。


「妄想だったら、よかったのにね」


 その言葉を聞いた瞬間、私は両手で顔を煽って天を仰ぎ、言葉にならないうめき声をあげた。指の隙間から見えた空が、やけに晴れ渡っているのが恨めしい。

 何だか、小宮先輩――いや、全てを手に入れた玲菜さんを祝福しているようで、何ともいえない気持ちになる。


「小宮先輩もさー、人を疑うってこと知らな過ぎるよね。猫を拾って手当するまではよいとしてさ、猫にアイスなんてあげないでしょ。しかも、あんな高いやつ」


 彰の言葉には私は内心、激しく同意した。態度に示す元気は残っていなかったが、心の中は大荒れだ。


「恋は盲目ってやつなのかなあ……」


 彰はそういって大きなため息をついた。

 空から視線を下ろして、小宮先輩と玲菜さんを見る。

 小宮先輩は友里恵ちゃんを抱き上げる玲菜さんを、頬を赤くしながら見つめていた。その姿はどこからどう見ても、恋をしている人の姿で……。


「愛って怖いねえ……」


 しみじみと呟く彰に、私は力なく頷くことしかできなかった。

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