16 逃走
日が沈みすっかり暗くなった空の下、立ち入り禁止の廃ビルは、住宅街から離れた場所にひっそりと建っていた。
正門前の地獄坂とはほぼ反対側の山のふもとにあり、周囲にはほかに目立った建造物はない。敷地を立ち入り禁止と書かれた柵でぐるりと囲まれて、中の様子は外からはうかがえなかった。
人目を忍んで悪さするにはちょうどいい好物件に私は感心すら覚える。
よくもまあ、好都合のものを見つけてくるものだ。
百合先生は先ほどから、中の様子がうかがえないかと探している。私は誰かが来たら知らせる役として周囲を警戒中だ。
このために呼ばれたのだとしたら、吉森少年でもよかったんじゃないかな。私身長高いけど、女の子なんですけど。と不満を並べ立てても伝える相手が側にいない。
「おー、不機嫌そうだな」
探索が終わったらしい百合先生が戻ってくると、開口一番そういった。
「不機嫌な理由分かってるのに、よくいいますね」
「仕方ねえだろ。吉森連れてくるとテンション上がって、調査どころじゃない」
私が選ばれた理由を語られて納得してしまった。
たしかにあの少年では無意味にテンションを上げて、無暗に突っ込んだり、音をたてたりしてあっさりバレそうだ。
「だからって、私じゃなくても」
「狙われてるかもしれねえ小宮連れてくるのは論外だろ。坂下は人間相手じゃビビりだし。そうなったら消去法でお前しかねえだろ」
「……百合先生が一人でっていうのは……」
「俺に何かあったら、事実を伝える人間が必要だろ」
さらりと告げられた言葉に私は息をのんだ。
それは百合先生が危険な目にあい、無事に帰れない状況を想定しているということだ。
「んな顔するな。最低最悪の話だ。さすがにねえとは思うけどな、最悪な状況を想定して動くってのが大事なんだよ」
百合先生はそういってニヤリと笑う。あくまで私は保険であり、心配することはないのだと安心させるように。
「それによ。俺は状況説明ってのは苦手なんだよな。俺一人でいったら彰に俺が説明しなきゃなんねえだろ。行くならちゃんとしろってキレられそうで……」
そういって顔をしかめる百合先生に私は呆れた。
おそらく。というか間違いなく、こっちの方が本音だ。
つまり私は体よく彰への伝達係りとして使われるということか。
「百合先生、彰に弱いですねえ……」
「可愛い甥っ子だしな。……前に本気でおびえさせて嫌われたから、これ以上嫌われたくねえんだ」
真顔でいう百合先生。
あの彰を本気でおびえさせたって、いったい何をしたんだ。気になるけど、聞いたらダメな気がして私は押し黙る。
百合先生と彰の関係は一言で言い表すには難しいらしい。
「それで、入れそうな場所見つかりました?」
これ以上、彰のことを本人以外から聞くのも気まずいので私は話を戻した。
のんびり世間話するような状況でもないし、場所も悪い。
普通に生活していれば来ることもない、廃ビルの前にいる理由を問いただされたら、説明が難しい。今までの経緯を真面目に語ったところで、真面目に受け取ってもらえないだろうし。
しかも、私と百合先生の場合関係が悪い。
一見教師には見えないが百合先生は男性教諭であり、男子に間違われることも多いが私は女子高生なのだ。お互いの肩書だけ聞いたら何とも危ない関係に見える。
あくまで、肩書だけ聞いたら。であり、今の私たちを見て、恋愛を想像するものはいないだろ。いっていて空しい。
「出入り口は見つけたんだけどな。そっから入るのは流石にあぶねえから、考え中だ」
「中で鉢合わせしたら調査も何もないですからね」
百合先生だったらどんな相手が来ても殴り倒せそうだが、油断はよくない。それにあくまで目的は調査であり、こちらは人質……。いや猫質? を取られている状態だ。
火に油をそそいで、捕らえられている猫たちに何かあったら、目覚めが悪いどころの話じゃない。
「猫の声でも聞こえれば、踏み込む理由にもなんだけどなあ……」
百合先生は顔をしかめてぼやくと廃ビルを見上げた。
暗闇の中そびえたつ姿は長年放置された哀愁と、得体のしれないものが巣くっている不気味さで恐ろしく見える。
灯りがあれば少しは安心するのに、周囲は真っ暗で、やけに静かだ。
普段であれば気にならない虫の声が聞こえてきて、不安を掻き立ててくる。
何の収穫もなしに帰るわけにもいかないし、危険を承知で突撃するしかないか。そう私も百合先生も覚悟した時だった。
静まり返った空間から人の声が聞こえ始める。
私と百合先生は顔を見合わせると、慌てて放置されていた木材の影に身を隠す。来たときは片づけろよ。と思ったが、責任者の適当な性格のおかげで救われた。
暗闇の中で動く2人の人影がぼんやりと見える。
身長から考えて男だろうか。徐々に近づいてくる声も低めなので、ほぼ間違いないだろう。
しゃべり方や態度から学生ではない。百合先生よりは若く感じるから20代くらいか。
「猫の世話ってのも意外と面倒っすよねえ」
ため息交じりの言葉に私と百合先生は身を固くした。そろそろと視線を合わせると、百合先生がニヤリと笑う。
ビンゴだ。と声に出さずに唇が動いた。
「ほんとなあ。あいつら見てる分には可愛いけどよ、引っかくし噛みつくし、やりたい放題だよなあ……」
「見た目はほんとちっちゃくて白くて、可愛いんすけどねえ」
はあと同時にため息をつく男たちは猫たちにだいぶ振り回されているようだ。
会話の内容からして、ちゃんと世話をしている。ゲージに入れて放置。なんて最悪な状況ではないらしい。
それに安心すると同時に、こいつらは一体何をしたいんだろうという疑問がわいた。
私が感じた疑問を百合先生も思ったらしく、眉を寄せ、男たちをにらみつけている。
直接的ではないが迫力ある視線に、男たちが気付かないかと不安になるが、男2人は鈍い分類だったようだ。百合先生には全く気付かずにのんきな世間話を続けている。
「まあ、猫の相手すんのもあと少しだ。それが終わったら謝礼たんまりって契約だから我慢しようぜ」
「そうっすねえ。野良猫捕まえて、世話しただけで金もらえるなんていい話っすよねー」
謝礼? 契約?
想像もしていなかった言葉に私は思考が停止する。
世話しただけでお金がもらえる。ということは、この男たちに猫を捕まえろと命令した人間がいるということだ。
どこの誰が、どんな目的で?
考えがまとまらずに百合先生を見ると、百合先生は元々怖い顔を渋面にして男たちをにらみつけていた。視線だけで人を殺せそうな迫力だが、男たちは本当に鈍いらしく気付いていない。のん気に話ながら、立ち入り禁止の柵の隙間から器用に敷地内へと入っていく。
先ほど百合先生が見つけたという入口はあそこか。と、ぼんやり眺めていると
「ああ、いた! 百合さん!」
場違いに元気な声が周囲に響いた。
敷地内に入ろうとしていた男たちが、不自然な形でこちらを振り返る。それを視界の端に収めつつ、私は慌てて声の方を振り返った。
そこにいたのは小宮先輩と香奈を送り届けたはずの吉森少年で。暗闇すらはねのける笑顔をうかべ、元気いっぱいに手を振っている。しっぽがあったら盛大に揺れていただろう上機嫌な様子だが、場所とタイミングが悪すぎた。
「バカ! 来るな!」
百合先生が男たちに聞こえないよう、声を潜めながら怒鳴る。という器用な真似をしつつ、しぃっと口元に手をやる。強面男性がやるには可愛らしいしぐさだが、それに突っ込んでいる余裕はない。
私はちらりと木材の隙間から男たちの様子を伺った。
男たちは不自然な体制で固まったまま、こちらを凝視している。
暗いのと、木材が間にあるために吉森少年の姿が見えず、状況を把握することに専念しているようだ。
これなら誤魔化せるかもしれない。そう思って私が息を吐き出すと、
「どうしたんですかー? 百合さーん?」
空気の読めない吉森少年の声が再び響渡った。
「おい! そこに誰かいるのか!」
男の怒声が聞こえる。
隣からは百合先生の舌打ち。吉森少年は状況が分かっていないようで首をかしげている。
「おい! 返事しろ!」
再び怒鳴り声。
私がどうしようかとおろおろしていると、百合先生は突然、私の制服の襟をつかみ、吉森少年の方へ乱暴に突き飛ばした。
何をするんだと振り返ると、しっしっと犬猫でも追っ払うような動作。それから大きく口をあけ、に、げ、ろ。と声を出さずに伝えてくる。
自分がおとりになるから、走って逃げろ。そういうことらしい。
すぐに反応できなかった。
数秒、固まって百合先生を凝視してしまう。
ここで百合先生を見捨てて逃げていいのか。でも、残ったとして私が力になれるのか。
一瞬でいろんな考えが頭の中を駆け巡った。
そんな私を見て百合先生はぞんざいな態度で顎をしゃくった。行け。そう鋭い目つきで言われては、従わないわけにはいかない。
私は走り出す。
私が走り出したことが分かったのか、様子をうかがっていた男たちの足音が聞こえ始めた。
だが、それはすぐに止まる。
背後で、驚いたような男たちの声が聞こえたから百合先生が止めてくれたのだろう。
「逃げるよ!」
私は未だに状況が分かっていない吉森君の手を掴む。吉森君は私を見て、それから百合先生の方を見て、目を見開いた。
「逃げるって。だって百合さんが!」
「私たちを逃がすために犠牲になってくれてる! だから早く!」
押し門灯している時間はないと吉森少年の手を掴んで無理やり引っ張る。
が、体は小柄でも男だ。全く動かない。意外と体引き締まっているし、元ヤンというのも鍛えているというのも誇張じゃなかったらしい。
今の状況では残念なお知らせだ。
「俺も加勢します! 百合さんを置いて逃げるなんて俺にはできません」
目じりを上げて、真剣な表情で宣言する姿はカッコいい。
カッコいいけど、分かってる? 百合先生が犠牲にならなくちゃいけなくなったの、君が空気をよまずに大声で声かけたからだよ?
私は舌打ちすると再び強引に吉森少年を引っ張った。
口でいっても聞かないだろうし、実力行使に出た方が手っ取り早いと判断したのだ。
したんだが、相変わらず吉森少年は動かない。
いやですーと駄々っ子みたいに頭を振って踏ん張る。
「意地見せるところじゃないから!」
「敵に背を向けるのも、恩人を見捨てるのも男らしくありません!」
「男らしさとか今誰も求めてないんだってば!」
もーこれどうすればいいの! と思って吉森少年を引っ張りつつ、百合先生の方を見ると男2人と百合先生はこちらを見て硬直していた。
百合先生が「何してんだお前ら」って顔をしているのはともかく、男たちも「え? どういうこと?」って顔をしている。
逃げようとした相手がこっちそっちのけで、仲間われ始めたらそうなるよね。分かる! でも私だって、好きでこんなことしてるんじゃないから!
そう内心で叫びながら、力いっぱい吉森少年を引っ張るが動かない。本当に無駄に鍛えてる! お前の鍛えるべきところは、体じゃなくて精神と、空気をよむ力だ!
「もー! 百合先生何とかいってください!」
「百合さん! このバカ力女どうにかしてください!」
誰がバカ力女だ! このクソガキ!
そう私が叫ぼうとした瞬間、百合先生が心底呆れた顔をしてため息をつき、唖然と事態を見守っていた男たちの足を払った。
意識を私たちに持っていかれていたところで足を払われ、受け身も取れずに倒れ込んだ男たち。身体をぶつける鈍い音と、うめき声が聞こえるがお構いなしに百合先生は走ってくる。
いざって時の容赦のなさは彰直伝……いや、彰が百合先生に似たのか……。
そのまま百合先生は私たちのところまで走ってくると、私がいくら引っ張っても動かなかった吉森少年をひょいっと脇に抱えた。
さすが大人の男の人。と私が感動している間も与えずに、そのまま走り出す。
「えぇ!?」
まさかの私を放置か!
慌てて私は後を追いかけて走り出す。百合先生に本気で走られたらあっという間に置いて行かれる。
「ちょっと、百合先生!」
「先生、先生、連呼すんな! 変な噂たったらどうしてくれる!」
そんな細かいこと今更気にしなくても、赴任した日には噂になってますよ。顔怖すぎるとか、教師に見えないとかそんなんで。
「すげえ! 百合さん!」
吉森少年は小脇にかかえられたまま、キラキラした目で百合先生を見上げている。真っ暗だというのに輝いて見えるから、その輝きは相当なものだ。それでも百合先生は無視。
それどころか、走りながら器用に吉森少年の頭を殴る。
いってぇ! と悲鳴が上がったが、自業自得である。むしろ、スカッとした。百合先生ありがとう。
「待て、お前ら!」
復活した男たちの怒鳴り声と、追いかけてくる足音が聞こえる。
百合先生はさらにスピードを上げた。子供とはいえ男1人を脇に抱えているとは思えないスピードだ。それでも一度見たことがある全力疾走に比べれば遅い。
「百合さん! おろしてください! 俺は戦えます!」
「戦ったら困るから、抱えてんだろうが!」
走りながら怒鳴る百合先生に私は同意する。
声に出さなかったのは声を出す余裕がなかったからだ。走りながら怒鳴れる百合先生の体力はすごい。
これで体育教師ではなく数学教師なのだから、いろいろと間違っている。相変わらずサングラスにあいすぎだし。っていうかもう暗いだからとりましょうよ。見えてるんですか。
「逃げることないですよ! 百合さんだったら簡単にのせますって」
抱えられた状態でファイチングポーズをとる吉森少年。抱えられて、自分の足で走っていないからずいぶん余裕だ。
さっきから全力疾走の私は辛いものがある。
体を動かすのは好きだから、ランニングくらいはしていたがあくまで趣味の範疇だ。全力疾走をし続けられるほどの体力はない。
背後からは相変わらず男たちが追いかけてくる気配がする。
さっさと諦めればいいのに、追いかけてくる男たちはずいぶんしつこい。一定の距離を保っている。
息が上がってきているのを自覚しながら舌打ちをした。
前を走っていた百合先生がこちらを振り返って、眉を寄せる。私の体力が長時間持たないと察したのだろう。
直線を走るのをやめて、目の前の角を曲がり、脇道へとそれる。
無理やり脇道に入ったことで吉森少年が体をぶつけたらしい。悲鳴を上げるがお構いなしだ。私も気にしない。もう少し痛い目見てもいいだろう。
脇道からさらに脇道へ、複雑な場所を選んで迷わず進んでいく。元々初めて来た場所だが、めちゃくちゃに走っているせいで方向感覚が分からない。
それでも後ろから追ってくる足音は聞こえ続けている。向こうの方は土地勘があるのかもしれない。
それは厄介だな。と思うものの足を止めるわけにはいかない。
私が無我夢中で走る。
「……行き止まりか……」
どのくらい角を曲がったのか、幾つ道を抜けてきたのか分からないが、百合先生の背中を追いかけて飛び込んだのは行き止まりだった。
膝に手を置き、胸を押さえ、何とか息を整てながら私は舌打ちする百合先生を見上げる。
「観念したらどうだ」
すぐ後ろから聞こえた声に私は心臓が跳ねあがった。
振り返れば、いつの間にか追いついた男が2人、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。
それなりに鍛えているのか息が上がっている様子もない。
この場で息が乱れているのが自分だけという状況に苛立つ。男女差なんて言われても、悔しいものは悔しいのだ。あとでランニング距離増やしてやる。と決意しつつ、私は男たちから距離をとるため後ずさる。
百合先生の背後にまわりこむと、まだあきらめていなかったのか男たちに飛び掛かろうと暴れる吉森少年がいた。百合先生に抱えられたままだというのに元気なことだ。
腹が立つし、八つ当たりついでに殴ってやろうかと思ったが、その前に百合先生が無言で後頭部にゲンコツを落とした。
保護者の皆さま。これは暴力ではありません。正当なる罰です。ざまあみろ。
「お前ら、何の目的であそこにいた」
男の1人がすごみながら、胸元からナイフを取り出した。
料理ではなく、人を傷つけるという目的で出てきた刃物に私はひるむ。暴れ続けていた吉森少年もやっと状況を理解したのか動きを止めた。
「それはこっちのセリフだな」
百合先生がすごむと男たちは一瞬ひるむ。が、すぐにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。
いくらグラサンつけた強面男性だろうと、背後に女子高生をかばって、脇には男子中学生を抱えているのだ。迫力も半減どころの話じゃない。
「大したことじゃねえよ。少なくとも子守りしながら見に来るようなことはしてねえな」
「ああ」
ナイフを見せつけながら男たちは意地の悪い笑みを浮かべている。
おそらくだが、百合先生1人であればナイフを持っていようと、2対1だろうと勝てる。百合先生がナイフを見ても全く動じなかったし、過大評価ではないと思う。
問題は、私と吉森少年がいることだ。百合先生は私たちを庇わなければいけないから動きが制限される。それに比べて男たちは私たちのどっちかを人質にとればいい。
圧倒的にこちらが不利だ。
百合先生はこういった事態を予想してたからこそ、私に吉森少年を連れて逃げろといったんだ。
今更それが分かったところで事態は変わらない。私はこの状況をどうやって乗り切ればいいのか、必死に頭を回す。
「ねー、そこで何してるの?」
その時だ、場違いな声が再び周囲に響いたのは。
私はとっさに吉森少年を見た。
未だに百合先生に抱えられたままの吉森少年はきょとんとした顔で、ある一点を見ている。
私がその方向へと視線を向けると、男たちのさらに奥に少女が一人立っていた。
大きめのパーカーを身にまとい、フードを深々と被っているため顔は見えない。それでも小柄な体形とホットパンツから惜しげもなくさらされた白くきれいな脚、フードの隙間から流れる長い綺麗な髪から女の子だろうと推測ができる。
顔は鼻筋と口元しか見えないが、それだけでずいぶんと整っているのがうかがえた。
何だか私はその少女をどこかで見たことがあるような気がした。
どこだっけ? と記憶を探ろうとしていると、少女の形の良い唇が動く。
まだ幼い声色だというのに、妙に落ち着いた大人っぽい声は高く、甘く周囲を震わして、それだけ少女にその場の視線が釘付けになった。
「おにーさんたち、何してるの?」
少女が一歩男たちに近づいた。男たちは何も言えず、唖然と近づいてくる少女を見返している。
男たちもそうだが、私たちも手足一本動かせない。それほどまでの圧倒的な存在感。動いてはいけない、逆らってはいけないという生物としての本能。
前にもこの感覚を味わったことがある気がする。と私は少女の動向を見守るだけになってしまった眼球を動かしながら思う。
手に持ったナイフを意にも返さず、まるで日常の延長のような自然な動きで少女は男たちにさらに近づいた。
暗い、静まり返った人気のない路地裏に、ナイフを持った男が2人。3人の人間を追い詰めている。そんな状況など存在しないかのようだ。
「ダメなんだよ。悪い事したら」
ゼロ距離まで男に近づいた少女はそういうと、あっさりとナイフをもった男の手をとった。それは掴みあげるという暴力的なものではなく、どこか妖艶さのある艶めいた動きで、男たちは反応できずに硬直する。心なしか顔が赤い。初心な反応に、お前らは思春期の中高生化と突っ込みたくなった。
それに気をよくした幼女の口元が弧を描く。
それを見て私は、既視感の正体に気が付いた。
「悪い事したらね、罰が下るんだよ」
今までの高く甘い声が瞬時に低いものへと変わる。
男たちが反応するよりも早く、白くきれいな脚が綺麗な動線を描いて男の股間を容赦なく蹴り上げた。
蹴り上げられた男が言葉にしがたい絶叫をあげ、うずくまって悶絶する。
自分が蹴られたわけでもないのに吉森少年も悲鳴を上げ、急所部分に手を当てた。百合先生も青い顔で頬を引きつらせている。
同性故に想像してしまったらしい。ご愁傷様である。
「て、てめえ!」
もう1人の男がはじかれたようにナイフを少女に向けた。少女はそれを見て不敵に笑うと、あっさりとナイフを持った男の手を取り、そのまま放り投げる。
自分よりも大きな体格の男を、華麗に投げ飛ばす姿がやけに綺麗で、現実味がなく、私にはスローモーションのように見えた。
地面にたたきつけられた男をすかさず踏みつぶし、今度はナイフを持った腕をひねり上げる。痛みに耐えかねて声を上げても容赦なく、男の手から滑り落ちたナイフも確保。
男の動きを完全にふさいだと確信した少女は私たちに向かって微笑んだ。
「間抜け面並べてみてないで、手伝ってくんないかな。どんくさすぎ」
不機嫌な低い声と不釣り合いな口元の笑み、容赦のないやり口。小柄な体からは想像できない力技の数々。
どっかで見た事あるなと思ったけど、そりゃ見た事あるよねと私は息を吐き出す。
「何してんの、彰」
そう問いかけると、未だに男を足げにしたまま彰は目深にかぶったフードをとる。
そこにいたのは華奢な少女ではなく、佐藤彰その人だった。




