4/10「話前に」
今は勿論いつの世も、人々にそれとなく語り継がれその中で忘れ去られ、また思い出す。この一連の流れがあるからこそ彼らはそこに存在しているようでそこにいない。またどこかで噂になっているようでどこにもいない。いつの時代も儚げであり、朧げで、姿形は絵や今の時代の技術で言うところの、CGといったものでしか鮮明には描かれない。
しかしそれほどまでに存在が希薄であるにも関わらず、決して「居ない」と一点して肯定する事は絶対にできないと僕は断言する。
認めたくはないが・・・そうしなければ僕は自分の過去を否定することになってしまうからだ。人生自分の知らないところでいろいろおこっているのだから太刀が悪い。太刀が悪いというかあの場合は太刀そのものが悪かったのか?
結局何が悪かったのか今の僕には知る由もないし知りたくもない。その筋ではあってはいけないことだったらしいけど。とりあえずこの話は無かったことにするとして、なぜ僕が始めの説明しなければいけなかったのには理由がある。
というか当り前なことだ。物事を説明するときに唐突もなく説明を始める人などまずいない。とりあえず知り得る人間のなかでは。仮にそんなことをし始めた人間がいたらとりあえず変な人であると真っ先に認識することであろう。
さて話がそれたが、理由である。今日は「春眠暁を覚えず」に始まり、瞼を開けておくのがつらい出来事である。