06.「人工呼吸」
全員分のチェインメイルを用意するのに、1週間ほどかかった。
チェインメイルとは、日本でいう鎖帷子にあたるもので、鋼線で造った鎖を編み込んで作った鎧のことだ。
小さなこの村では、全員分など、とても用意できないため、商人を介して近くの大きな町に発注をかけたのだった。
チェインメイルは斬撃に対しては、かなり有効であるが、突くような攻撃には弱い。
ただ、斬る攻撃に比べて突く攻撃の方が、体内に埋め込まれる毒が相対的に少ないと考えられ、後は、攻撃を食らった際に、傷口を洗浄して人工呼吸を行うしかないのではないかと考えた。
また、斬撃で毒が取り込まれるということは、この毒は矢毒としても利用できるということだ。
チェインメイルは、矢に対して、あまり効果がないかもしれず、矢に対する警戒も必要だった。
グレッグと相談の結果、傭兵たちにも毒の存在を伝え、人工呼吸のやり方を伝授することになった。
元々、2人1組で行動するように指示されていたこともあり、そのペアで実際に人工呼吸をしてもらった。
当然だが、人工呼吸は、こちらの世界の皆さんにとっては見たこともない行為であり、少なからず戸惑いが見られた。
このため、ミューズと僕とで、実演させられることとなってしまった。
僕としては、気恥ずかしいので出来れば口頭だけの指導で済ませたかったのだが、ミューズは実際に見ないとやり方が分からないだろうと主張した。
「私なら、あんなに長時間口づけを続けていたので、もう慣れた。
カナンとなら、何回口づけしても大丈夫だ」
と、ミューズは、趣旨を履き違えているようなことを言っていたが、ともかく実演に関しては滞りなく行えた。
もう慣れたとか言っている割には、実演中、顔が赤かったような気がするが、これは、まあ、お互い様だった。
実演後、傭兵同士で人工呼吸の練習をしてくれと言うと、当然のことながら抗議が起きた。
男性がほとんどだったので、ミューズとやらせろという意見が殺到した。
「教会では、未婚の女子は、みだりに他人と口づけしてはならないと教えている。
今回は、実際にこういう方法で生命を救って頂いたということを、お見せするためにさせて頂いたが、これ以上は、教えに反するので勘弁してほしい」
ミューズは、そんな風に宗教を利用して、やんわりと断った。
まあ、人工呼吸が生命に直結する重大な行為であることは、納得して頂けていたようなので、しぶしぶ皆さん練習に同意してくれた。
ぶつぶつ言う人がまだいたので、溺れた人に対しても有効な場合がありますよ、と、豆知識的に教えてあげたが、反応は悪かった。
この様子を見ていたグレッグは、あとで屋敷で働いているメイドなどの若い女性を集めて、特別講習を行ったのだとか。
「俺が毒を受けた場合は、俺が特別講習を行った子たちに人工呼吸をやらせてくれ。
みっちり仕込んでおいたし、むしろ、この子たち以外では信頼がおけない」
と、グレッグは笑みを殺して真面目くさった顔で言った。
この件で、お手付きになったメイドがいたらしい、というのは、また別の話だ。
僕としては、次々に毒矢で傭兵たちが殺されていくことを心配していたが、幸い、チェインメイルが行き届くまでの1週間は、襲撃者が現れたという話を聞かなかった。
意外と敵は小規模なのかもしれない。
1週間、グレッグも、ただ手をこまねいていたわけではなかった。
村内外で、襲撃者の痕跡がないかどうかを調査した。
まず、村の中に関しては、あまり大きいとは言えない村であるし、村民ひとりひとりがグレッグと顔見知りであり、また、グレッグは村民に人望がある。
容疑者と目されている暗黒教団の信者もいない。
村の中に潜伏するというのは、ほぼ不可能のように思われた。
また、村の周囲に関しても、人が潜伏できるような場所がない。
人が長期間潜伏するには、食料や水の確保が必要である。
協力者が定期的に、その用意を担当するとしても、受け渡す場所が必要となるだろう。
しかし、村周囲に索敵を行ったのだが、潜伏や受け渡しをしていると考えられる場所が、まったく見当たらないのだ。
その形跡すら見当たらなかった。
襲撃者に深手を負わせていることも考えにくく、事実、襲撃者らしき死体も見当たらない。
それでも、1週間たち、2週間たち、緊張は少しずつ解けて行き、傭兵たちの間では、敵もそろそろ諦めたのではないかという意見も出る程だった。
そもそも、実は騎士団を持っているグレッグが、なぜこんな辺鄙な村に少数で駐屯しているのかというと、近くに迷宮があるからだった。
そもそものグレッグの目的は魔王討伐である。
迷宮を探索することで、魔王攻略のカギとなる秘宝を見つけたいのだとか。
魔獣討伐も、周辺の安全確保と、傭兵たちの実力を確認することが目的だったらしい。
このため、グレッグの副官・アドルファスは、いったん本拠地に戻ることも提案していたが、グレッグは、そうすると襲撃者がかえって出てこなくなると言って拒否した。
「これから魔王を倒そうっていうのに、暗殺者を恐れて逃げ出したとあっては、人はついてこねえよ。
少なくとも、何らかの報復をした後でないと帰れねえな」
この時のグレッグは、いつもの人懐っこい彼ではなく、獲物を狙う狩人のような表情をしていた。
暗殺者を、おびき出してやる。
グレッグの目は、そう語っていた。
このため、まずは、しばらく中止していた魔獣討伐を、再開してみようという流れになった。