59.「目」
「わかりました。
では、まずあなたの目を見せて下さい」
僕は、そう言ってケビンに近づいた。
ケビンは、「はい」と言った。
ケビンを、まずそのままの状態で観察する。
彼は、茶に近い体毛で、睫毛や眉毛も同じ色をしている。
左目の虹彩は琥珀色で、日本人に比較すると、少し色素が少ないのだろう。
右目の観察に移る。
瞼には異常がないが、瞼と瞼の間から、赤いものが少し飛び出している。
恐らく、肉芽だろうと考えたものだ。
その他、通常に眼球がある場合と比較し、少しへこんでいるように見えた。
僕は、指を使ってケビンの右瞼を広げた。
そこには、赤黒い空洞があった。
あるべき眼球がない。
痕跡すらない。
眼球は、元々あったのだろう。
しかし、その後の何らかの理由により、眼球は摘出されている。
そうでなければ、ここに空洞があることを説明できない。
「ケビンさんの――」
「気さくにケビンで結構です」
僕がケビンの顔から手を離し、話し出すと、すかさずケビンが言った。
訂正して説明を続けた。
「――ケビンの眼球は、恐らく引き抜かれたもので、生まれついてこの状態であったわけではなさそうだ。
もし、眼球があって、外傷などの理由のためにつぶれてしまった場合、神聖魔法の《ヒール》を速やかに掛ければ、治癒する可能性があるが、眼球自体がない状態では、《ヒール》をかけても目は治らない。
目を治すというのが、もしかして見た目の問題のことを指しているのであれば、その赤くはみ出た部分をナイフか何かで切除し、そこに《ヒール》を掛ければ、はみ出る部分はなくすことが出来る」
「いいえ。
この赤い部分は気に入っているので、治して頂かなくても結構です」
ケビンがにっこりと言った。
そんなところだろうとは思っていた。
あの赤い部分は、元々眼球があった部分に収納しようと思えば収納できるはずで、それだけの空洞、スペースは存在したのだった。
ただ、あの肉芽だか眼瞼結膜の一部だか分からない赤いものは、少なくとも皮膚に覆われていないため、感染に対して脆弱である。
見た目の問題とは言ったが、それ以上の側面もあるため、切除してしまった方が良いのではないかと思った。
しかし、今は、目が治るかという話である。
「実際に、目が見えるようにするために最も現実的な方法は、移植だと思う。
移植とは、他人の眼球をもらって、そこに埋め込むことだ」
僕がそう続けると、ケビンは、ほう、と少し感心したような顔つきになった。
どうやら、目を治すための具体的な方法が聞けるとは思っていなかったらしい。
僕は先を続けた。
「ただし、移植には様々な制約がある。
その最大の制約が、免疫反応だ。
ヒトは、自分の身体を外界から守るために、免疫と呼ばれる機構を持っている。
免疫を担当する細胞が様々な方法で、自分でない外界から侵入してきた異物を、免疫反応によって排除する。
他人の眼球をそのまま埋め込むこと、具体的には、摘出してきた他人の眼球の視神経とケビンの視神経を露出させ、そこを接着させて《ヒール》を使うことで、一時的にケビンが目を取り戻すことは、技術的には可能だろう。
だが、すぐに免疫反応が起こり、移植されてきた眼球は委縮し、すぐにまた失明してしまうだろう」
ケビンは指を顎に当てて、ふむふむと聞いている。
あれ?
あまり反応が良くないな。
もしかして、やったことがあるのだろうか?
あとで、近くに目を引き抜かれた人がいないかどうかを確認しておこう。
僕は、ケビンの怪しさのためにそう思ってしまった。
「ヒトの細胞は、それぞれが自分であるというしるしを持っている。
このしるしが完全に一致すれば、免疫反応は起こらない。
一卵性双生児という特殊な双子がいる場合、このしるしは完全に一致するために、移植しても免疫反応は起こらない。
また、兄弟では4分の1の確率で完全に一致するため、この場合も免疫反応は起こらない。
その他では、基本的にはしるしは人によって異なるため、どんな人の眼球を移植したとしても、免疫反応は起こるだろうと思う。
計算すると、このしるしとしるしが赤の他人で一致する確率は、数千分の1くらいだと言われている。
まず、一致することはない」
しるし、とは、HLA(ヒト白血球抗原)という名前が付いている。
これをいかに何とかするか、というために発展してきたのが移植医療だ。
この分野の発展により、現在の日本では免疫抑制剤を使用すれば、ある程度は移植による免疫反応を抑えることが出来るようになっている。
ただし、日本では、こちらの世界とは異なり、視神経を外科的に繋げることは出来ない。
《ヒール》のような反則な方法がないため、眼球移植をしようとしても無駄である。
まあ、日本の場合は、人工網膜といった全く異なったアプローチで視力を改善する方法があるが、この世界では使うことは不可能であるため、ここで話をしても無駄だろう。
僕は、ちらりとリリーを見た。
きょとんとして、こちらを見返してくる。
彼女の存在がこれらの問題を解決する可能性はあるが、僕はリリーをドナーにするつもりはない。
僕はにっこり微笑んで、再びケビンと相対した。




