53.「リチャード」
「リチャードという男がいた。
光の教会の、修道院長をしていた男だ。
特に、取り立てて優秀だったという訳でもなければ、何かすごい技能を持っていたという訳でもない。
儂の所に、この男を殺せという指令が来たときは、そこまでする価値がある男なのかと思ったほどだった。
しかし、当時、儂は血気盛んな若者だった。
名を上げるために人を殺すのをためらわないほどにはな。
一応、長と名のつく肩書もあるし、死んでもらう理由も充分だと思ったよ」
リゲル長老は、突然、関係ない男の話を始めた。
しかし、長老は特に表情を変えるでもなく、淡々と話を続けていく。
食卓を囲む他の面々も、黙って話を聞いていた。
「儂は、殺しに時間を掛けるのは嫌いだった。
だから、このリチャードという男と、なぜ話し込む結果になったのかは、今でも謎だ。
分からぬ。
儂は、仕事には綿密な計画を練る方なのだが、計画通りにいかないことも、たまにあるのだ。
ともかく、儂はリチャードと話を長い話をすることになった。
話をして、儂はすぐに、この男を上が危険と判断した理由を理解した。
考え方が特殊すぎたのだ。
この男は無類の女好きで、方々の女性に手を出していた。
それだけでは、いかに姦通するなかれを説く教会でも、特殊とは言えない。
いかにも聖人という顔をした性犯罪者たちを、儂は何度も目にしておる。
この男の特殊な点は、光の教会のシスターだけでは飽き足らず、なんと、我々の教会の人間にも手を出していたのだ。
これは、非常に斬新だった。
普通、光の教会の奴らは、我々を毛嫌いして近づかない。
むしろ、人間とすら認識していないのではないかと思うほどにな。
しかし、リチャードは、そんな教会間の認識の壁を、いとも簡単に越えて見せた。
何人も、我々の教会の人間との間に、子供を作りすらしたのだ。
そのうちの1人がリックだ」
なるほど。
そう繋がっているのか。
かつて、ティアがリックのことを、どこかの偉い人の息子だと言っていたことがあった。
しかし、まさか対立する光の教会の偉い人の息子だとは思わなかった。
「儂は、そんなリチャードが気に入ってしまってな。
儂も若かったから、リチャードのような人間が、2つの教会の軋轢を変えてくれるのではないかと考えたのだ。
たかだか一修道院長を標的から外すぐらいには、儂も教会内で地位を得ていたから、儂は元老院に諮って、リチャード殺害を止めさせた。
儂も若かったのだよ。
それから数十年経って、リチャードからリックを託されて初めて、リチャードの子供が全員死亡していたことを聞かされた。
彼らを殺したのは、どちらの教会でもない。
新奇を恐れた一般の教会信者だったそうだ。
その話を聞くまでもなく、2つの教会の軋轢は、儂らが出会った数十年前と何も変わっていない。
いや、もしかしたら、数十年前よりも酷くなっているかもしれない。
少なくとも儂自身がやってきたことは、それに加担しかしていない。
そうしなければ、儂も生きてこれなかったのだ。
しかし、リチャードは違った。
この子だけは生かしたいと言って、なんと、このアルデンの町にリックを連れて来たのだ。
以前、一度だけ話をした儂の噂を、どこからか聞きだして、やってきたらしい。
単身でやってきた奴のことを、儂は正直うらやましかった。
儂が奴に求めていたのは、このようなことだったのかもしれないとさえ思った。
だから儂は、リックを引き取ってやることにしたのだ。
条件として、儂はリックの名前を選んだ。
リックはリチャードの愛称だし、ディーンとは修道院長という意味がある。
いつかリチャードの息子であると名乗ることが出来るように、その名前を選んだのだ。
ただ、それも無意味なことになってしまった。
先日、リチャードが死んだことを知った。
我々の教会の信者が報復テロとして爆破した修道院の犠牲者の中に、リチャードの名があったのだ。
今更、たかだか修道院長の息子だと名乗っても何にもならんし、それを証明する方法もない。
王族の出自を証明する方法すらないのだ。
そして、そのリックも消えてしまった」
長老は目を閉じ、何かに思いを馳せているようだった。
長老から語られたのは、リックの知られざる生い立ちのエピソードだった。
孤児院の成り立ちから、僕はリックのことを捨て子だと思っていた。
そういえばティアが、孤児院とは言うが、ここにいるのは孤児だけじゃないと言っていた。
ティアはリックの生い立ちを知っていて言った訳じゃないだろう。
しかし、こうした、暗殺者を作るという以外の目的で孤児院に身を寄せることになった人間も、確かにいたのだ。
しばらく目を閉じていた長老が目を開くと、長老はマーテル先生に何やら目配せをした。
マーテル先生は恭しく頷くと、ミューズの方を向いて言った。
「聖騎士様。
あなたの《ディスペル》で、カナン先生の《サイン》を解いてあげて下さい。
カナン先生には、必要のない魔法だと思います」
その言葉に、僕は驚きでマーテル先生を見、そして、長老を見た。
マーテル先生は微笑みながら、長老は無表情で、それぞれ頷き返してきた。
ティアが「やったね、カナン!」と、嬉しそうに僕の手を取る。
ミューズも嬉しそうにしている。
リリーには、説明をしていなかったのできょとんとした表情をしていた。




