50.「開腹」
「ティア。ナイフを取ってくれ。
このナイフは、僕を殺すためのナイフじゃない。
僕を生かすためのナイフだ。
君が僕の言う通りにナイフで僕の腹を切ってくれないと、僕は助からないだろう。
君は、誰かを殺すことで、その誰かを大切に思う人たちが苦しむと考えている。
ここで、ナイフを取らないのは、救える命を救わないことだ。
それは、僕を殺すことと同じことなんじゃないかと思う」
「そ、それは……」
僕が少々キツイ言い方をすると、ティアは少したじろいだ。
僕はミューズからナイフを受け取り、ティアに手渡す。
ティアは、おずおずとナイフを受け取った。
僕は畳み掛けるように手順を説明した。
「まず、腹部を臍の辺りまで正中に切開を入れる。
ちょうど、剣が刺さっているのが臍の左横なので、切開創は臍で正中を逸れて、この剣の傷とつなげるようにする。
その後、剣の傷からまた正中に戻り、ここら辺まで切開を入れる。
正中を切開するのは、この部分は白線と呼ばれ、筋肉がないからだ。
筋肉を切ると、出血して術野が見にくくなる。
しかし、臍の周囲に関しては切開創を開く必要があるから、多少、筋肉を切開することになる。
出血したら、火で炙ったナイフで焼こう。
出血する血管を狙ってナイフの腹を押し付ければ、止まるはずだ。
刃が邪魔で止められないようなら、違うものを用意しよう。
できるか?」
僕が聞くと、ティアは、ためらいがちに頷いた。
震える手で、ナイフを構える。
見た目に気の毒なほど手が震えている。
ミューズが、ティアの肩に手を置く。
「暗殺者。このナイフは、君の《ヘーレム》と同じだ。
何かを傷つけることで、何かを助けることもあるんだ。
大丈夫。危なくなったら、私がすぐに《ヒール》を掛けるから」
ミューズの言葉は、いつになく優しく聞こえた。
ミューズも手術を見るのは初めてだろうに、彼女の言葉は、不思議と聞くものに安心を与えた。
ティアの手も、まだ震えていたが、かなり落ち着いてきたように見えた。
ミューズだけでなく、リリーもティアの肩に手を置いた。
ティアは何かを確かめるかのように頷いて、そして、少しずつナイフを前に出した。
正にナイフが僕の腹部に届こうとした時だった。
ゴクリ。
緊張のあまり呑み込んだ僕の唾の音が、やけに周囲に響いた。
あまりの音に、呑み込んだ僕が一番驚いた。
その音に、張りつめていた糸が切れたかのように皆が笑った。
「やだなあ、カナン。
大丈夫だって。
カナンのケガぐらい、あたしがパパッと治しちゃうからさ!」
いつもの不敵な笑みに戻ってティアが言う。
目からは怯えの色が消え、ナイフを構える手も確かだ。
これなら安心だ。
ミューズとリリーも頷いている。
「じゃあ、いくよ」
ティアは僕の腹にナイフを突き立てた。
あんなに震えていたのが嘘のように、刺す時は迷いがなかった。
刺す時にためらうと、かえって、刺された時の傷が醜くなる。
恐らくティアは、このことを経験的に知っているのだろう。
《パラライズ》が効いているため、痛みは全くない。
ティアは僕の指示通り、浅めに心窩部から臍の上まで切開し、そこから臍左の切創に切開創を繋げ、また、切創の下端から正中に戻り、そこから恥骨上部まで切開を加えた。
出血したところは、焚き火でナイフを火で炙り、焼灼止血した。
「恐らく、腹壁はこれくらいの厚さだと思う。
ナイフを刺入しすぎないようにしながら、まず、腹壁を開こう」
僕の指示にティアが頷き、少しずつ、切開創を広げていく。
出血すれば、その都度、止血をしながら、進めていった。
緊張と熱気で、暑いのか、ティアが汗を拭う。
僕は、付けていた青いバンダナを、ティアに手渡した。
ティアは初め、きょとんとしていたが、すぐに元の表情になり、バンダナを受け取る。
しっかりと、頭に結んだ。
1時間くらい、開腹をしていただろうか?
日本ならセッシと電気メスで膜を一枚一枚切っていく訳だが、一気に切ることでかえって出血してしまい止血に時間がかかった。
今後の課題になりそうだ。
それでも、ようやく腹壁の切開が終わり、その下の大網が露わになった。
大網とは、腸管を覆いかぶさるように覆っている脂肪の膜だ。
見た目では、脂肪の塊にしか見えないため、人に見られるのは、ちょっと恥ずかしい。
その中心のあたりに、剣が突き刺さっている格好になった。
僕は、大網を丁寧にどけると、その下に腸管が露わになった。
剣は、腸に見事に突き刺さっていた。
「ティア、じゃあ、その剣を抜いてくれ。
余分な傷は付けないように、可能な限り、入ってきたのと真逆の方向に抜いてくれ」
ティアが頷き、剣を引き抜く。
緊張が走ったが、幸い、抜いた後で血液が噴出するようなことはない。
幸い、大血管には刺さっていなかったようだ。
剣が刺さっていた腸は、既にその周囲に浮腫をきたしているように見えた。
僕は、リリーに鏡をうまく動かしてもらい、腸管の傷をよく確認した。
どうやら、2か所で腸に突き刺さっていた。
「私たちは、対騎士戦の際に、腹を狙えと言われる。
不思議なことに、《ヒール》で腹の傷を治しても、その後、高熱を出して死んでしまう人間が多いのだ。
食事が食えなくなって、結局死んでしまう者もいる」
ミューズが、そう言って、僕の腹の傷を覗き込んでくる。
僕は、まず、腸の切創の部分に《ヘーレム》を掛けてもらい、その後で、腸がひしゃげていないことを確認して、《ヒール》を掛けてもらった。
ミューズが言う通り、おなかの傷は《ヒール》だけでは治らない。
腸内細菌が腹腔内に漏れれば腹膜炎になってしまうし、剣で腸がひしゃげた状態で《ヒール》を掛ければ、腸がひしゃげた状態で癒着してしまい、そこを食物が通らなくなる。
腸閉塞と言う状態となり、何もしなければ、結局は死んでしまう。
暗黒教団の気胸を作る方法も恐ろしいと思ったが、光の教会の方でも、同じようなえげつない方法は開発されていたという訳だ。
プロローグの解説は、パイロット版に移しました。




